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AME

2017年6月28日 AME はコメントを受け付けていません

窓の外斜め見上げ「AME」と喜び顔半々で野海さん。大事をとって送迎ヘルパーを手配したのがあたったのだから。
さて、施設という言葉の響きフィナキラシーというと不道徳だが、付き合う上で野海さんは顕著だが、脱施設主義を押し通すマイノリティ群へのまなざしを持つことは、我が生活を老後の終活の道筋でもある。通常、介護保険制度に準ずる形で10年早まる障害のある人の老後。かって措置という保障を得て活かされてきた近年。北欧並みにという構想共通理想は独自のプランへと進んだようだ。自立という公用語も定着しつつ施設優先の政策をニーズ対応へはシフトできないでいる社会。誰もが投資して益を生み、あらゆる選択肢に対応できる穏やかな福祉社会体系へは宇宙へ飛び出すくらいの困難さを打倒できるのだろうか。
花を送る会後のアイスブレイクで「笑われた」と野海さん。佐土原のアトリエまで画伯を連れ出しに同乗したせいで、昼食にありつけず、いつもは口にしない菓子類を食べたい!と申し出たのが「笑われた」という。「入っても良い」ともまた、言う。肝心なところは社会から隔離されないことのようだ。社会参加を生活の一部にしていく生き方。そうそのことを彼も一緒にワークショップやらの講座・勉強会でさんざんしてきたのだから。社会をもっとおもしろくする使命感が自己実現と同じくらい難しいことを思い知らされた上での、施設内的人生非肯定なのであろう。社会というハーを常に引き寄せて居たい。さあ、野海さんの社会への恋しさは酉年にどれくらい報われるだろう。酉年から戌年へちょうど半年ではある。

上京して 昼飯ぬいて 笑われた

さて、花を送る会の帰路、私と斎藤泉画伯は野海さん同様昼飯抜きにたえること及ばず、うどんどなんに飛び込んだ。画伯の労いでごちであった。県美展に入選した構図の面白さが締切ギリギリだったという話を交わしながらうどんをすすった。話の端々からうかがわれるのは、画業を成すくらいだから社会性にはうとい、画業三昧の受注作成の日々のようだ。あたかもアトリエという施設に猫との暮らしといったところか。個と社会という世界観とは違う、絵の中のぼくの村のような創造生活もあるのだと狭い考えに風を感じた。こもる生活に耐えられる力と飛び立つ翼を両方持つに越したことは無い。そんな風な生き方を菊永恵子さんからも教えてもらった。

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