1983
水曜日事務局ボランティアは一週休んだ。事務局日誌綴りで確認すると、32回ふれあいの旅実行委員会の打ち上げも去る金曜日に終えたようだ。本日まで野海実行委員長は上京の為休みなので、あれやこれやは次回のお楽しみにとして、いきなりだが、1983にタイムスリップ。
幸運にもふれあいバックナンバーの製本版がこの世に一冊だけ書架にある。自 昭和55年8月20日 とある。No.75号までが読むことができる。その製本版の四分の一くらいあたりにアンカーを差し入れると1983年の毎月のボランティア情報が読めるようになっている。当時の福原誠会長が翌新年のあいさつでこう記している。省みますと、昨年は県V協会にとって多くの試練に見舞われた年でした。しかし、協会に結集するみなさん、県社協はじめ関係諸機関の励ましの中で、その試練を一つ一つ乗り越えてきたことを大変うれしく、またその解決のためにご尽力くださった方々に敬意と感謝を申し上げる次第です。特に事務局ボランティア(虹の会)の結成とその取組、財政面では「ふるさと愛の基金」からの配分金の増額、さらに賛助会員の方々のご援助などは私たちの活動を支えてくれる力強い存在です。中略
私たちの活動が人間的な弱さ(甘え、自己満足等々)に陥ってはいないかを謙虚に自戒し、常にボランティアの心の原点に立つ姿勢を崩すことなく、今年もひそやかに、かつしたたかに行動していきましょう。ご活躍を祈ります。1984年1月1日県ボランティア協会委員長 福原誠 とある。
その向かいのページには、日高順子さん(事務局VO)おめでとう!!結婚式12月10日(土)12:00~式場 心身障害者福祉会館(青葉町)というインフォメーションもある。ビューローとしての団体利用名にはボーイ11団、県難病連、福祉のまちづくりがあり、木曜教室 毎週木曜13:00~16:00 。いづみの会 常時録音室使用。宮崎わたぼうし会 毎週火曜 19:00~21:30 ともある。
新年号の手書きイラストはねずみなので、1983はいのししだったことが判る。
その他、レポート(1)「活動現場から」の連載には≪福祉のまちづくり協議会・岩浦厚信≫として投稿がはじまる。以下、出だしは「去る5月21日(土)宮崎市民会館で開かれた「わたぼうし宮崎コンサート」に私は全盲の福島玲子さんと福島玲子さんの自宅(宮崎市橘通東5丁目)から橘通東のアーケードを通って市民会館まで歩きました。(16:40~17:40)この歩いた時の状況を「車椅子」のことなども含めながら宮崎での”福祉のまちづくり”運動の必要性を今回からしばらく書いていきたいと思います。とスタートしている。
1983 いのしし の年には、県ボラを核としたボランティア情報の流通と会議の場としての交流が渦を巻く状況だったようだ。
その多種多様なニーズをコーディネートする事務局は日替わりで席を暖めてくれた事務局ボランティアたちが構成していた。
そうして、34年が経ちIT教育団体との事務所シェア水木金の事務局ボランティア、何かにつけ立ち寄って下さるボランタリーな方々とひそやかに かつしたたかに活動は継続している。