映画 もうろうをいきる 感想
2018年12月12日
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シグロ社という映画会社の作品ということで、社会性の強い内容は予感していた。試写会は聴覚障害者協会理事長の挨拶の中にも、我が事としてコミュニケーションをとる難しさ、必要な情報獲得保障を切望するもの。ヘレンケラー女史画像に始まる映画。各地で生活する盲ろう者への撮影は監督からの眼差しを、喜んで招き入れるコミュニケーション力に満ちる。
えびの市の遠目塚さんの日常、洗濯物干しと買い物、もう一度登場する場面では支援者の内面へもカメラは落ち着いて見聞をする。そもそも、何が理解を求められるのかは日本のヘレンケラーの活躍を示す福島智教授が繰り返し解説してくれる。
コミュニケーション獲得は新しい生活の獲得でもある。暗闇、聴こえない世界にコミュニケーションが繋がったインタビュウは、変えられない自分が変われた奇跡の共有。我々が映画で暗い部屋で新しい世界を識る歓びに感動するのと同じこと。盲ろう者にとってコミュニケーション獲得後の気分の開放感は、ロードショウ映画館を出る我々の高揚感と同じ。
そして、コミュニケーション獲得後は普通の生活が始まる。誰もが普通に生きることに納得せざるを得ない勇気に包み込まれる映画。
山崎光代談「見えない、聴こえない、当事者の気持ちに近づけた。まだまだ閉じこもり生活状態の多くの人にもコミュニケーションの具体的手段、指点字、手話などどれかが道をひらくことになるはず。3月24日の上映会は宮崎県福祉総合センターです。協会事務所でもチケット販売協力します。」
さて、水曜日の野海さんは、ふれあいの旅報告書入力を切り上げ、県劇イベントホール/ユニット月と水vol.2ひとり芝居「エドマンド・キーン」へ去る。井上大輔演出。
演劇も映画もコミュニケーションの宝庫。来週どんな感想が聴かれるか楽しみ。