宮崎一番星
2025年3月31日 at 5:11 PMCategory:お知らせ
2025年3月24日 at 6:36 PMCategory:お知らせ
2025年3月17日 at 12:05 PMCategory:お知らせ
網の目座談会は、ほうれん荘で生まれた夜学の商標。放し飼いの公務員など知恵者が言い出し吉村町平塚甲の若衆宿が下原墓地横の永山住宅大家宅へと発展し看板化した。ゲストは賢者総出で藤野現代っ子センター氏は鮮明な印象を残す。障害者芸術村どんこや役場の頃で芸福系のスタートからじわじわと生活者視点を獲得し誰にも依り掛からぬ自立の旗を掲げて現、ヤッ!ドーにメタモルフォーゼ。芸と福祉の向きと平行して同時進行で農福はシーン誕生の高岡飯田ひこばえ村真早流直義村長が田畑を不耕起塗り上げ各地と交響した。所謂大正の新しき村の派生が農福の原型として日向ひなた域での実践に見られる。高鍋大師の背景に石井十次、現新しき村、絵本の郷南に照葉樹林帯が伸びてモアイ像の背景に霧島んぢだなのはな村が懐かしい。
もちろん、制度的に農福型に削ぎ落とす前のマグマドロドロ期にあった市民活動の拠点が幕を降ろし、新たな旗を揚げようと見受けられる。最新の掲示フライヤーは「端午のタンゴ」なので何か原点に何回も戻ってるんだルンバと腑に落ちる。音楽とダンスの内に市場が生まれ音楽とダンスのうちに誰も考えつかなかったシーンが陣痛の時を迎えたようだ。その場面に立つ好機。
農福の次は芸福か、どっちでも順番は良くて福がとれて農芸におさまるのは照葉樹林帯の特筆である事の論破として歓待されよう。なのはな村村長藤崎芳洋おとうちゃんらとのフリーマーケットが若草通で見事な幻影を出現させた胎動期に戻りたいと私のらいふのパンは語りかけた。