特定非営利活動法人 宮崎県ボランティア協会

MiyaKenVola じっくり、ゆっくり、たっぷり ふれあう ! —mkv.e-region.info—

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所在地・時間

〒880-0007
宮崎県宮崎市原町2-22
(宮崎県福祉総合センター本館1階)
水曜:12:00~17:00
木曜:11:30~18:30
金曜:11:00~18:00
事務局担当者は日替わりです。詳細は上記メニューの「協会スケジュール」をご覧ください。

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  • 書籍がやっぱり慣れている?が、YAH!DOみやざき+ZOOMでの総会に出席。盲導犬MAXがひざ下にいて、門川、花山手、都城、その他の参加者もいてアイリス大山大画面にはこちらの様子も反映されていて、昌彦さんのPCで快適に操作。

    IT操作にまだ不慣れな内は、書架が知恵の蔵。「みやみん」の呼び名も一新した宮崎市民活動センターにはコロナでも続ける活動者たちが熱心に集う。二段目にはMJのダンスワークショップがリモートで。セボネの表紙イラストに惹かれて読み出すと、川崎市の事例に納得。編集者の手腕向上が見て取れる。下段には活動といえば長野のかわらばん揺るぎない。そしてしっかり読み物化して素敵なウォロ!まだまだ直観と書籍の相互作用は、ITのそれとは別のDNAを育み続けそうである。

  • 野海実行委員長再来!思っていたことを書いて送ってくれた。日記とは別な味で。長年ボランティア活動に加わってきた前後のエピソード。固有名詞が懐かしい。伏字はWEBマナーとして処理。

    2012年に前の「ふれあいの旅」の「実行委員長」だった和田君から、「『ふれあいの旅』の『実行委員長』を引き受けて!」と言われて、その年から「ふれあいの旅」の「実行委員長」を引き受けた!

    僕が初めて「ふれあいの旅」というイベントのことを知ったのは、30年くらい前に参加した宮崎県主催の「ふれあいの翼」という「障がいがある人」とその家族を北海道に連れて行く旅行のときだった!その「ふれあいの翼」の田野にある専門学校の学生さんがボランティアとして参加されていたから、その学生さんの出迎えで、その当時、田野の専門学校で教えておられた押川先生が来ていた。その押川先生には「訓練キャンプ」のときに大変お世話になっていた先生だった!「ふれあいの翼」の最終日に母が押川先生に「何か(僕と)参加できるイベントがあるのですか?」というようなことを聞いて、「それなら、『ふれあいの旅』があるよ!」ということを教えてもらって、しばらくして、押川先生から「宮崎県ボランティア協会」主催の「ふれあいの旅」の申し込み用紙を送ってもらった。

    でも、その「ふれあいの旅」の日は弟の運動会みたいだったので、「(母が)いないとダメだろう!」と思い込んでしまって、結局、「ふれあいの旅」には行けなかった。

    その頃、永山昌彦さんがアメリカに行かれたことが新聞に連載されていて、僕はそのことを羨ましく思っていた!そんなとき、宮崎で「ふれあい広場」があって、そのときも押川先生に会って、どういうわけか、母が「(僕が)昌彦さんに憧れているのですよ!」ということを押川先生に言ったら、押川先生が昌彦さんを紹介してくれる事になった!そのときにも、昌彦さんから「ふれあいの旅」のことを言われたけど、母の都合で行けなかったことを伝えると、「(僕)一人で行っても良かったのに!」と言われた!

    そのあとの何年かは「ふれあいの旅」に行けるチャンスがなかったけど、この間に、都城の社会福祉協議会が主催しての「ふれあいの旅」が何回かあって、その「ふれあいの旅」に3回、参加した!都城の方の「ふれあいの旅」は、「福祉バザー」の売り上げでやっていて、もちろん、「宮崎県ボランティア協会」主催の「ふれあいの旅」とはまったく、関係ないのだ!なので、同じ「宮崎県」の中で「ふれあいの旅」というイベントがあったことは、今、考えてみても疑問に思っている。最後に都城の「ふれあいの旅」に、そのあとすぐに、「点字図書館」に行かれる又木さんに「朝風呂」まで付き合ってもらって、とても楽しかったけど、いわゆる、「頑張っている障がい者」や「感動〇〇〇」という臭いがプンプンしていたから、その次の年の「ふれあいの旅」には行かなかった。「福祉バザー」がなくなったこともあって、都城の「ふれあいの旅」もその年でなくなってしまった。

    それから2、3年経って、やっと、「宮崎県ボランティア協会」の「ふれあいの旅」に参加することができたけど、「ふれあいの翼」に参加したときと違って、一人でいろいろなところに行けるようになったことで、「旅」に対する目がこえてしまったことと、「ボランティアさん」たちがかなり、「上から目線」の人が多いように思ったから、「『ふれあいの旅』には二度と行くものか!」と思っていたけど!

    その次の年に、初めて「宮崎県ボランティア協会」の総会に参加したときに、「『ふれあいの旅』なんて、意味がない!」と言ってしまって、その当時の「ふれあいの旅」の「実行委員長」だった中村さんから、「それなら、『ふれあいの旅』の『実行委員長』をしてみろ!」と言われて、喧嘩になってしまった!

    2001年から「宮崎県ボランティア協会」の理事になってしまい、「『ふれあいの旅』を面白いものにしたい!」と思って、「ふれあいの旅」の担当を希望してやってみたけど、「宮崎県ボランティア協会」の理事になって、はじめの方の理事会で、ある人が「『ふれあいの旅』のときは『無理矢理』でも親と離すべきだ!」という主張を聞いたり、今まで「ふれあいの旅」に参加している人や、実行委員をやっていた人から、「そのままの『ふれあいの旅』がいい!」と言われたこともあって、「『ふれあいの旅』を変えてくれるな!」というプレッシャーもあって、なかなか、思い切ったことができなかった。

    僕は「『ふれあいの旅』のときは『無理矢理』でも親と離すべきだ!」という言葉を聞いて、特に宮崎の人はそうだけど、「『障がいがある人』は『(障がい者)施設』にいる!」というイメージが強いから、「別に『ふれあいの旅』のときに親子で参加している人を『無理矢理』に離す必要があるのかな?」という自分のこととはまったく違うことを思っているし、重度の人になるとなかなか、家族と一緒に旅行することができないから、「ふれあいの旅」を「家族旅行」として利用してもらいたいという思いもある!
    「『ふれあいの旅』を変える!」という個人的な目標はなかなか、できないまま、まさかの、「ふれあいの旅」の「実行委員長」を引き受けて、ほかにもやることがあるから、「実行委員長」としての活動をほとんど、できなかった!それでも、長崎や福岡など、「ふれあいの旅」にとってははじめて行く場所に行けて、「実行委員長」としては良かったと思っている!

    それでも、「『ふれあいの旅』を変える!」という思いは捨て切れなかった!そういうのも、「ふれあいの旅」の目的としている一つに、「『ヘルパー』の『資格』を持っていない人でも、気軽に『ボランティア』として参加してください!」とチラシに書いてあるけど、「トイレ介助」をお願いする時に、「うちの会社は『ヘルパー』の『資格』を持っている者がいないので、二度と『トイレ介助』のお願いに来ないでください!」と言われたことが何度もあった。

    それと、「ふれあいの旅」の実行委員会の打ち上げのときに「ヘルパー」さんを連れてきていた実行委員がいた!「『ヘルパー』さんと一緒に行く時は『ヘルパー』さんの分も払う」というルールがあるから、一応、幹事の山崎さんに聞いたら、「私も公立大の学生さんもいるから、『大丈夫よ!』と言ってみたけど・・・」と言っていた。僕もほかの「障がいがある人」から「『ヘルパー』さんと一緒にいなさい!」と言われたこともあるから、「どんなときも『ヘルパー』さんと一緒にいないといけない!」というプレッシャーがあって、「ヘルパー」さんを連れてきたとは思う!

    僕の場合は「遠慮する」気持ちが強いから、家族とか「ヘルパー」さんがいつも一緒だと何もできないのだ!「ヘルパー」という存在は「必要」だと思うけど、ある程度は「ヘルパー」さんがいなくても大丈夫な社会にするために「ふれあいの旅」が「必要」なのだ!

    それで、古賀さんの「ダイナマイトマーケティング大学」で、「USP」のときのように、この場にいた人たちで「ふれあいの旅」の事を考えてもらった!でも、「ダイナマイトマーケティング大学」の時に考えてもらったことを、また、「遠慮する」気持ちが出てしまって、肝心の「ふれあいの旅」の実行委員会の時には提案できなかった!

    そして、2017年の「ふれあいの旅」の行き先は熊本だった!「路面電車に乗る」ということがその年の「ふれあいの旅」の「目玉」企画として、阿蘇に行くという旅だった!

    そのときの「ふれあいの旅」で僕のお世話をしてくれる「ボランティア」さんは、綾で「障がい者施設」をしている人で、今までの「ふれあいの旅」の中で一番、「ユニーク」な人だった!でも、その人は、「障がいがある人」に対する介助の仕方にこだわりというか、かなり、「思い込み」が強かったみたいで、「ふれあいの旅」の「事前説明会」のときに、僕は「食事介助」をしてもらうときには(僕の)左側から介助してもらう方がいいみたいなので、思い切って、たぶん、公立大の学生さんだと思うけど、「食事のときは左側に座って介助してください!」と教えても、「ふれあいの旅」でお世話になる人が「食事介助をするときは右からって決まっている!」と言われて、その学生さんを右側に座る位置を変えられてしまった!「なんとか、教えたのに!」と「悔しい!」というよりも「あ然」だった!それと、「お風呂の時はTシャツを着ないと・・・」というアドバイスを公立大の学生さんたちにしていた!僕はこの言葉を聞いて、「ゆきわりそう」は、お風呂の時、介助してくれる人も裸でしてくれて、初めて「ゆきわりそう」に行ったときにはかなり、驚いてしまった!人によっては、障がいの関係で介助の仕方が決まっている場合があると思うけど、僕の場合は、介助してくれる相手との「信頼関係」もあって、介助してもらうから介助の仕方に「絶対、こうだ!」ということはないと思う。

    そんな「ふれあいの旅」の本番は、とても楽しかったけど、阿蘇の義手の方がやっている「美術館」は、「頑張っている障がい者」や「感動〇〇〇」という臭いがかなりあって、「こういう考え方の人もいるんだ!」と「あ然」とした!今でも「『ふれあいの旅』を変える!」という思いがあるけど、いったい、いつになるかな・・・。

  • 11月21日(土)盲導犬とフリーマーケットを楽しめる

    フリーマーケットの問い合わせが事務所に。管理事務室ではと答えたが、なかなか楽しそうな恒例イベント!

  • 永山昌彦様宛名の定期便ニュースレター イマージュ(劇団態変制作部) 

    台風の余波か?追い風に自転車・納宏子号は荷積みのハンディエンジェルズ一箱と共に快適に宮崎県福祉総合センター到着。郵便物から発する念力を感じさせられここに写真を入れた。当事者舞踏団の大変でしょ!?を逆手に取った名づけか「態変」。金満里さんの初回印象はずばりジョゼ。どんこやの友井絹子さんも同じ媚薬の粉を舞わせていた。

    「一大決心」の東京公演は一ケ月後の高円寺を目指す。

    8年前に設けた「賛助会員制度」の新規継続募集を読む。特典として個人年会費一口5000円はチケット500円割引。法人年会費一口20000円は一作品1名様ご招待

    のべおか天下一薪能も次回への財政確保のためチケット予約特典付きの寄付を募集している。

  • 三股町地域包括支援センターのユニークなポスターに瞠目!こもってなくて、出ておいで合言葉は「つながっていこう!」だろうか?

     何やら某スーパーマーケットの駐車場白線を電車ごっこにみたてたような構図。昔は車両を移動販売の売り子さんが回って来て、駄菓子屋の店先や寅さんばりの見世物がたちまち出来上がる光景を再現して純昭和的愉しみであった。

     さて、訃報に入るが。紛れもない初回ふれあいの旅でも36年前に移動販売員が貸し切り列車らくだ號連結に「さあいらっしゃい・いらっしゃい」とにぎやかに菓子飲料を売ってさるく趣向が。その寅さん役を企画実行したのが本日の告別式で最期の別れを名コンビ永山昌彦さんと無言で交わしたご当人「齋藤計行さいとうかずゆき」さん。車内放送で「さあ、日南線のトンネルの数はいくつ?」と沿線の実況をした坂本智子さんの声、内海からの絶景太平洋への歓声は北郷に入るにしたがい「ひとつ、ふたつ、みっつ目」と真剣なカウントに変わる。

    今秋オープンのJRアミュプラザあたりは、長いホームへ直接アクセスできる空間を活かし256人の旅人を日帰り飫肥の旅四両編成へ不便なしで。新聞記事には国鉄日南線存続の願いを込めの脚色も。その自信あふれる活躍の斎藤さんと坂本さんの最後の邂逅が病院のホールだったとは。

    齋藤さんというより清六清六と親しみを込め呼ばれた男。64歳で仕事からもかってのボランティアシーンの仲間たちとも別れ、次のステージへと姿を消した。

  • 高橋宏典理事を介して救援物資を届けた御礼、
    村長より広報8月号とともに受信
    高橋理事への宛名を事務所で開かせていただきました。
  • 電動での日常から離れて久しい靖治さん、いつのまにやら白い人となって、感性さえ透視できるのではないかと思わされる。往年の電動スタイル漫画はMESCボランティア作。

    舞台を愛する県民そして電動者である野海さんと天満タクシー利用で29万の雫2020版を味わった。舞台の力には圧倒されるが、その不思議さは照明効果だと思い識る。絶妙に創られた「闇」「無」そこから役者の身体、言葉、効果音が展開するので座席もすでに牛舎豚舎の中に在るリアリィ。

    県劇イベントホールも年代を感じさせるトイレのつくりで、開の緑大釦を代行し、外へ出ると劇団ゼロQの前田晶子さんが「野海さん!」と走り去った。のは流石の演劇ヲタクの面目躍如。

    獣医師と放送記者の二役の役者さんは見事に現実と報道の間を演じてくれた。何回となく車ごとの消毒を受けた近郊在県民として実情を追体験できた。舞台化に真剣に取り組んだ岡田心平さんの猛烈さはけものたちの霊を呼び戻してくれ、3度目の刷新されたコロナ禍下の舞台はまた、闇に還った。

  • 福島久美さん告別式くにそう会館2020.8/28

    コロナ禍の配置で最後列で賛美歌を確かめていると、スタッフが椅子を外し一台の車椅子が着席し、告別式はやがてクライマックスへとナザレン式に終わった。見慣れぬ祭壇、低い位置の棺、銀の十字、オルガンの伴奏。故人の意図したとおりに進んでいるのだろう。

    お通夜である前夜祭で、顔は確かめ別れた。棺を閉じる儀式の間人気のないホールで展示を写真に撮らせてもらうため席を立つ。告別式次第は教会方式で天国への再生を演出するものだが、急場でボードに展示されたであろう写真の半分ほどは筋ジストロフィー当事者活動の記録であり、1枚はボランティアにも参加された一枚。右上。ソウルに出発する直前の壮行会である。介助の川越直美さんと久美さんコンビも30歳以上若い。後ろの旅行者たちを検分すると大西章広、愛甲隆二両人もチャーター機に乗り込む緊張感の中。

    東諸葬祭場に見送った式場の外、ついさっき。スターレットに乗り込むくだんの女性は「今朝看板に気づいて急いで支度にもどり間に合って良かった」とオリパラ・アスリートのように車椅子を畳み、「ついこないだ、施設に見舞ったばかりなのに」とまだ驚きの中にいる様子。

    家族席におりこうさんに座していた黒短パン黒シャツ少年は若いころの福島さんにどこか似ていた。骨折入院のため預からせてもらった分の(お花料)返しは県ボラ理事の平川喜章氏へ届ける。もう一つは、物真似いたずらのお相手財部豊隆氏。  福島久美さん本当にお世話になりました。ありがとう愛の記憶を。

  • 根掘り葉掘り聴くもんで、コーヒー飲みに寄ったのが運の尽きの俳優としての和田っち。

  • コロナ影響下様々な困難に直面する人・団体・地域の支援活動に取組むに県内NPO法人に向け活動補助を募集。1法人あたり補助額上限120万円
    県内で10法人程度を審査により決定

    コロナ禍の県内。 特定非営利活動法人に細かな支援活動中のそれぞれの分野でのさらなる展開を促す支援事業の募集が通知された。(交付決定日以降の経費が補助対象) 令和2年9月14日(必着)で幅広く募集中。