分科会第4「人間としての在り方生き方とボランティア学習」のふり返りをしておこう。
リフレクション
教育を仕事とする学者らが体験からの学びをやさしく説く授業づくりの舞台裏を覗かせてもらった訳で。既製品として降りてくるであろう指導テキストが果たして事実として認められるのかが討論された。
道徳さえ難しいカリキュラムなのに。学校教育現場では、増え続ける諸事に追われ、ゆったりと構えてこその哲学的思考へのプロムナードたる道徳及び体験的ボランティア学習が実践され総括されているとは言い難い。
そして、大学生として得た自由時間内で、体験からボランティア的開眼を得ても、まして社会の全体像と方向性が哲学と乖離している柔らかな挫折感さえ感じるのがここのところの我が国。多事争論で試行錯誤なシビルエデュケーションが求められるのに。
前日の実践報告(宮崎県高文連国際・ボランティア専門部会生徒スピーチ/活動報告)とシンポジウムで口火を切り、
もう単一セクターでは対処できなくなった問題解決へ「体験✖️学び」で挑む狼煙が。
18歳選挙権与党案も浮上する以前に、民主主義教育の不足になしくずしの上に道徳の教科化答申へと情況は動き出している。ここのところは、永井順国(ながいよりくに)、栗田充治(くりた みちはる)両氏間で整理された。
しかし、勇気を奮い法にのっとった社会づくりにボランティアでの学びをソフトランディングさせようと研究者は励んでおられる。
率先市民という造語がそれに当たる。
私学、宗教法人系での淑徳小学校顧問多田元樹(ただ もとき)さんの授業紹介は、同じく島根の小学校教頭広中郁美(ひろなか いくみ)さんの現場等では純真さにヒットしうる学習がそこにあることを示された。
さて、体験での成果とは、怒れて当然の若者期の批判精神に何物をも否定せず向き合うのりしろを養うには有効であったり、強制される以前に予測・活動の自発性の切れ味に共感するなど活動リーダーたちからの学びは大きいものがある。
そんな状況を肌で感じる得る力の涵養は他の学問、⚪️⚪️道に引けを取らない価値を孕んでいるのが、ボランティア体験であろう。
そんな到達点へ案内できる人材としての教師像、サポーターのいる現場が展開していけるのかがボランティア学習に望まれる。
ご本人もかっての活動文化祭体験者である宇都宮大付属中高橋功昌(たかはし こうすけ)、本県小林市からの会場参加者2名ら若手の教育者たちには正義を生きる大切さを学校で学んでも要領よく生きる生き方の今の社会に染まる学び、今の社会からこうあって欲しいという非道徳・ボランティア的ニーズの強さの現実に妥協してはいない信念、姿勢があり心強かった。
ベテランながらボランティア学習が開花することを信じ取り組んでおられるコーディネーターの阪内宏一(さかうち こういち)、長崎からのノッポさん的富永耕造常任理事など10期目を迎えた日本ボランティア学習協会は今期のスタートを清々しく宮崎の地で切られた。
追記、会場で手にしたブックレットの末期の一文を引用して、学習のスタイルを理解したい。「不登校の子どもの場合などは、こうした初期の未熟な段階でのボランティアができるようにもっていきながら、多分に長期的な辛抱強い取り組みが必要になるであろうが、あせらず気楽にじっくりとかかわりながら、次第に「自らすすんで他者や社会のために役立つ」成熟したボランティアの段階ができるようにしていくことである。そして、それぞれの段階でボランティア基礎力を培いながら、つぎの段階でのボランティアができるようにしていく。成熟したボランティアができるようになったとき、不登校から脱出したことになろう。