県ボラと西都
働く婦人の家からリサイクル関連の問い合わせがあった。何故か、今や有効利用の夢の島と化している感が強い事務所。車椅子からの発信と双璧を成している生活学校発信の実績が物申せばこうなる。その西都市の婦人拠点には出向いてアドバイスしたいが総会業務に必死な事務局に代わり西都へ出向いた連休末日。目的は、
写真展の講演会。写真展を見て聴いておしゃべりを楽しむ為。結果オーライ。財部ハウスの蛍光灯替えて発車オーライ、道行は古賀総合病院路線那珂から都於郡城址を抜け三宅からパオ。幾分旧妻線コースより直進を。
第2回ふれあいの旅日帰り西都原編で大変お世話になった。飫肥へは貸切ラクダ号で鉄路にこだわり、是非行きたい目的地に西都原が挙がり、ユネスコや青年団の力を借りて大ハイキングとなった。外出機会のなきに等しい在宅の老若男女が選んだコースは今や神話街道メッカとなっている。次年は高千穂までまた鉄路という今や不可能な旅程をよくボランティア力で演出したもんだ。
さて、講演会は秋のドキュメンタリーフォトフェスティバルに向けての前哨戦の様相で、三人の写真家が会場の声を交えて写真の世界を語った。再三登場した永友啓一郎さんは福祉職OBでもあり、持論として写真家たちへのボランティアですと、今秋招聘する石川文洋展への仕掛け作り真っ最中。ベトナムを取り続けた沖縄の長老へのわくわく感が聴衆にシンクロする。そういえば、創生期の県ボラにも写真展の話が舞い込んで、山形屋ホールでカンボジアから宮大学生が持ち込んだ募金活動となった。JVCなどのつながりを越え一学生が、その頃のベトナム難民の家が西都にあったことなどが反応した結果、当時のカンボジア支援となり、当時の県民もそれならと応えた。そんな記録は連休のヤッド!のネパール支援へとつながっているので、当然ボランティア街道は面白い。80,123円の募金を集めて残務に忙しい江平を訪ねると、マッチ代表理事は帰ったばかりとエンドウ入りの夕飯をぱくつく山之内俊夫さん。そう、彼がアジア車椅子大冒険をしているのを協会に紹介してくれたのが写真家の芥川仁さん。土肥雅郎大親分も初期ネット上でレポートされる旅の情報に感動して応援を要請してきた。まあ、西都から話がずれ始めたのでパオに戻すと、聴衆の中に知人が多く、県NPO支援センター井上優さんはお嬢さん連れ、隣席にははにわ広告事務所萩原宏典氏。彼がデザインして納品した全ボラトレーナーもまだ着ている人は全国にいるかもしれない。そう、ヤッドマークに三人のイラスト。その年のはにわ広告事務所の年賀状のコピーをボランティア活動のキャッチコピーに拝借したのだから、萩原さんは福の神。容姿も福々しい飯野人。
ただ、パオの通りは休日とはいえ、シャッター街。よく車椅子ごと上がりこんだ喫茶ピカソは早々とまぼろしと消え、楽しみなうどん店までたまの閉店日。しかし、好きなマルハチレコードはやってるみたい。なかったマンションが幾棟か聳え、胎動の時期と思う。なぜならゲームセンターの音が五月蝿くも講演会では白熱の議論が発信され、私も混じりアフターアフタートークの輪ができ、いくら窮屈な空間に消費者を押し込めようとする現場であっても、鬼の岩屋のような穴を穿つ力をひとは持って、それを大事にしているのだから。そのメカニズム共同を車椅子は視ている、声を掛けられる準備もアイドリング中。西都に戻ってそう想う。