松兼功回顧
89、90年頃、恒例のオリンピックセンター詣での折、研修後しばしの時間を松兼功と過ごした。参宮橋駅から徒歩でというアクセスをニッポンの諸学習の分野リーダー予備軍は相当数が通った。当時は代々木練兵場付近が64年の東京オリンピック選手村にリニューアル後、体育局の名目の元研修施設として活用されて充分社会教育宿泊施設として活用済みの段階であった。宿泊棟には簡易シャワーが付いていて、ホテル並みとはいかないが、相部屋個室がオリンピック選手数分並んで体躯のアスリート仕様は物珍しくもあり、数年は古びさも乙なものでシンプルな場での熱い研修施設を成した。世界ボランティア会議の関連研修の席で旧交を暖めた私たちは女性とはなれ二人で午後の新宿に繰り出した。彼の下駄はタコゲルゲ仕様のガラガラ・「歩行器」。言語障害から鋭い評論を発するのと同様に、体重をバランス良くアルミのへりに載せて腕組みの格好のまま、下半身でキックしてわずかにスイングしながら練り歩く。名著「お酒はストローで、ラブレターは鼻で」はそれこそ顔面での執筆だったが、取材と称する町歩きはこのガラガラがロシナンテ役。癖っ毛の下からカメラである眼光を放射し、社会の通り人からのリフレクションから人間のものがたりを引き出す作家生活、文人。例えば、階段だらけの駅に当然のように向かい、自然発生的に巻き起こる、手助けを彼流にこう書く。困っていると、カップルが気付いてくれ、彼の方はおんぶしてくれ、彼女は見かけによらずテキパキと器具を上げてくれる。ありがとうという気持ちは伝わり、飛び出す唾も気にせず、デートの続きに去って行った。その後ろ姿には共同で難関を過ぎこした達成感さえオーラを出している。また、またキューピットをしてしまった。あとはあんじょうに。・・・てな具合な脇道にそれかけながらも作家は目的地に向かうのである。ある時は、三重苦に見えてレミゼラブルと勘違いされて、涙まで流した遭遇者もいたが、手助けしてもらったものの、先を急ぐ私はその日はたまのデートに向かうルンルン気分で、悲壮感はその過剰な同情の方だ。それが「時代遅れの涙たち」の作詞に繋がった。しかもヒットした。
今や、作家作詞家の領域は、アプリ制作者とのコラボまでもに進化して、この前、野海さんに見せてもらったが「はんにゃしんきょう」松兼版として若者の心を打つなど現役で頼もしい。今震災や我が郷土での災禍でもキーワードとなって、みんなを励ましている「絆」は、元祖ボランティア活動テーマソングとして曲が付いてミラクルヒットの作品の題名であり、僕の額に流れる汗にあなたは何を思うでしょうか?生きる力に微笑みますか、同じ時を生きるあなた!感情を削ぎ落とした先に見えて来る希望の光が歌いこまれているのだから、レクイエムでも賛歌でもなく、ブルーズとしてそれぞれの活動家に沁みるのであった。そんな代弁者を我々は得たのだ。
なんでまた、この総会時期の活動繁茂期に思い出して回顧しているかというと、某施設の理事長席にむかっていたら、三冊の読みかけの本が積んであり、病院院長が連載したエッセイ集2冊とNHKが集めた障がい者の生き方集で、後者に当然のように松兼の名を探し、最初の数行を拾い読みしたのだった。彼の息遣いが饒舌に語り始めた。タイトルは驚き!うんぬんで、彼の手法である、自らを触媒として好反応を巻き起こすことこそが、存在意義という理念をある程度年季の入った目を通した一編のようだ。書店の立ち読みみたいな状況だったので読み耽る訳にもいかず用事を済ませ席を立ったが、数行で意図は、松兼節は読み取れる。彼には実弟がいるのは未知だったが、伝説の母の運転で実家に連れられた弟夫婦から預かった甥との話が伏線として引かれていた。さあ、どんな驚きを三歳児は反応するのかな、彼の人生はこの相手の驚きこそがそれぞれの生きる力を喚起することを究めてきたのであった。即席に早合点するのがこの文の責任者の私の特徴ではあるが、そう結論づけているはず。
ここで、冒頭の新宿駅へタイムスリップしないと終われない。結論は盲導犬という演劇の大看板の前でそれぞれの帰途に着くまで、彼はガラガラで馴染みのサウナにいくから一杯やって行こう、おごるぜ、宮崎での一宿一飯の義理も返すからという展開であった。もちろん野海さんと同じ、というかえらく感動してビールの飲みっぷりをコピーしたのが野海さん、紀行文旅日記を真似て作家修行で後を追っているのも野海さんというのが本当のところだが。
余談で、激怒されるのは必至だが、FBで日本福祉大学通信入学の話題があと嬉しい悲鳴を上げている野海さんは名古屋行きののち上京してくる来月の旅を控えている。その真意は、学生生活での福祉探求と本格的失恋体験が待ち受けていても、先駆者松兼功の歩みに続きたいとの意思が大きいのである。そして我々は、まだまだ両人からもたらされる驚き!を仕掛けられている。そして敬意を払うとともに、怖さを超えた驚きというポジティブ到達点を目指す生き方を見習おうではないか!