鬼に金棒。婦人!と車椅子!
ボランティア活動が勢いを減らし、往年の元気はほぼ特定非営利活動の方に傾注されていると言っても過言ではない。今までの仲間は値札が付いているお客さまみたいとまで言うと反論も出そうだが。
本当に、宮崎のシーンでは生活学校という婦人ボランティア団体が一世を風靡していたのは確かだ。どっちかというと車椅子自立運動の方は地下活動や夜間繁華街謳歌活動&ミーティングにエネルギーを燃やしていた。彼女たちは学校を名乗り、学びの楽しさ真剣さを生活に加えて工夫、改良で社会へ提言力を持った。構図はあらかじめ予想される一歩先の消費生活を企業、行政と牽引していた。元祖NPOだった。
ここにある40年史は8年前のものなので、WEB上の検索でも全貌はたどれないだろうから、少し採録しておこう。
参考資料2 宮崎県生活学校連絡協議会 規約
[名 称]第1条 この会は、宮崎県生活学校連絡協議会という。
[構 成]第2条 この会は、県内市町村にある生活学校の代表者をもって構成する。
[事務局]第3条 この会は、事務局を県新生活運動協議会事務局に置き、事務局長を置く。
[目 的]第4条 この会は、県内の生活学校相互の連絡提携を強め、生活学校の充実と発展を
図り、新しい住みよい地域づくりに努める。
[活 動]第5条 この会は、前条の目的を達成するために次の活動を行う。
1 情報交換・連絡提携
2 県段階の課題、活動方法などの研究と調査
3 生活学校運動宮崎県大会及び生活学校運動研究交流集会などの開催
4 ブロック研究集会の開催
5 その他必要と認める事項
[役 職]第6条 この会は、次の役員を置く。
1 会長1名、副会長5名、幹事若干名、監事2名
事務局長、書記、会計1名
但し、事務局長と書記、会計は会長が委嘱する。
2 会長、副会長、幹事、監事は総会で選任する。
3 役員の任期は1年とする。但し再任をすることができるが、会長の任期
は3年を目途とする。
4 会長は会務を総括し、この会を代表する。
5 副会長は会長を補佐し、会長の事故ある時は、その職務を代行する。
6 幹事は、会長の要請による幹事会で、会の企画を審議する。
[会 議]第7条 この会のすべての会議は、会長がこれを招集する。
[経 費]第8条 この会の経費については、別に定める。
[付 則] この規約は、昭和45年9月30日から実施する。
昭和59年 4月25日一部改正
平成 3年 5月8日一部改正
平成 9年 5月13日一部改正
平成10年 4月28日一部改正
平成14年 5月9日一部改正
平成15年 5月9日一部改正
さて、世論を形成した要因の一つだった婦人活動はどう、NPOの時代にメタモルフォーゼしているのだろうか?
このケースの場合は学校を名乗り、発見と対話集会の連続で学ぶことの魔術が根底にある。自由さにあふれている。
入沢志津子さんが会長としてボランティア協会の役職も兼任されていたので、年に一回くらいはお呼びがかかった。それは、イズミヤ(昭和47年 10月宮崎に宮崎店を開店) を会場にしてくらし展、バザーなどの企業の社会貢献を引き出していたイベントだった。販促にも協力しながら活動の質と量を進化させる戦略をもっていたのだ。無償の会場提供の見返りに応分の活動と認められていたようだ。
昨今、会場費に関しては経費節減上無償はあり得ない。福祉であろうが生活であろうが。当時はあなたが買うその商品は社会的に観てこうゆう問題をはらんでいるのよ、考えながら使いましょう!という運動は役に立つ情報発信として認知されていた。婦人の真剣で機知に富んだ活動は報道により社会の最新の常識として拡散していった。
ある程度の行政の後押しをスプリングボードとして、型にはまらない婦人が飛翔した。
だったが、成功を見極めるかのようにセンター化されると、型にはめることになり、熱気は半減した。
働く婦人の家などが居場所としてなり得なかった事例がそれを物語る。
婦人は競い合いそれぞれが敷衍し、必ず目的を達成する。
そして、もっと自立する気概は高齢化した今でも決して目標はぶれない、生活学校が目指すものは自分で考え自分で創る生活なのだ。