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宮崎県福祉総合センター雑感

2015年10月2日 宮崎県福祉総合センター雑感 はコメントを受け付けていません

開館当初の二分の一のスペースになったのが駐車場側からみるとわかる現県ボラ協事務所。給湯室の配置はそのままで現倉庫部には録音室、廊下側から保育室。女性用・赤ちゃん設備サニタリーコーナーからがビューローで応接部三団体共用机、現在の事務所スペースが丸々会議コーナーというデザインで宮崎県初のボランティアビューローはリニューアルまでみんなの居場所を展開した。
後日、正面玄関のロータリーなどが取り払われ、新館の研修館が新築されるまで、児童施設や動物園舎などもあった、古くは西池の湿地帯広場ではサーカスもテントを張ったなどと記憶を地元民の財部豊隆さんと知ったかぶりをしてきたものだが、新たな新事実が判明するに至り、嘘っぽい語り部もほどほどに自粛しないと!思うのだ。

その新事実は、天満福祉タクシーの串間勝さんから発せられた。わ、私はここで産まれたんです。ここは病院でしたよね。10月9日に江南病院374号室を骨折完治で退院する納宏子さんのカンファレンスで使用しなくなり引き受けた、自立生活者愛用アイテム五代目の電動車椅子を搭載したリフト車が駐車場に入る時発せられた。病室で小一時間の充電ではバッテリー上がりが速く、奥野うどんで停止し、急遽呼んだ福祉タクシーだった。市社協路線でもあるので低床式ノンステップバスも行き交うのだが、俄か電動ユーザーのふりをするのも迷惑を掛けるので、イタズラの誘惑はあきらめ、うどんを食べながら串間さんを待ったのだった。事務所には折りたためる電動でスペースはないので、YAH!DOの昌彦監事のスペースにお願いしようと考える。あそこも3年後には引越しを余儀なくされるというが。里親プロジェクトも加わった子ども文化センターの2NPO団体入居の公共性の高いビルなどで行き先が気になるところではあるが?現鶴島のNPOハウスも古いから、それぞれの次は総合的に自立を余儀なくされている訳だ。

アクセス、駐車場、適切な指定管理と三拍子揃ったセンターに創設当初から居られるのは幸運であるのだ。それだけ有利な条件下に置かれた社会福祉協議会におんぶされた揺籃期から、今は細々と壮年期に至っている現状。かわらぬ皆様の温情。

北南に長い本県全域に影響を行き渡らせるにはもっと北部のまぼろしの宮崎城あたりが適切だ、いつの日かは自前の会館をと夢想した時期もあったが、あの頃は思えばバブル期だったよなあ。仕事と夢が両立でき上昇志向が今の異常気象みたいに人の気持ちを押し上げていた。基本的生活感がそこでニツポンから逸脱してしまった。ようだ。

北側一面が窓なのでブラインドを上げている日中はガラス拭きもあったばかりなので外の駐輪場とダストスペースがよく見て取れる。ディスプレーから目を上げ椅子を引いてぼんやりすると落ち葉を集めた袋を運び込む様子が目に止まった。館内、玄関パン販売、公園清掃と作業所に仕事を提供している福祉総合な場所ではデスクワークの入居者と交通公園利用の園児たち、一般公園利用者が過ごすことができる。かっては一角に児童相談所の一時預かり施設も併設されており、ワーカーと球技に興じるボールだけが垣根越しに見えたりもした。ジソウはいまは、JA隣の旧工学部敷地県保健所ビルと並び婦人相談所などと体育館もある母子センターに入居している。

そこに配慮がもっととおもわされる光景が偶然見えた。仕事といっても労働色の強いストレスをともなうもののようで、掃いても掃いても落葉を繰り返す交通公園。ここで、この日曜日にはふれあいの旅事前交流会のデモンストレーションの散策をさせてもらう。汗をながして掃いてくださった作業所の皆さんありがとう。いつの日かにはふれあいの旅で是非交流いたしましょう。

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