飛ぶ
少し長くなる。 平成28年は1969年5月10日生まれの野海靖治さん(あわいや所属)
が母智丘を離れ一人暮らしを始め13年が経過し、都城市総合文化センター(通称MJ)の新春ワークショップトップバッター書の演武で「飛ぶ」を揮毫したことで開幕した。松下太紀(どんこや職員歴有)さんのアート作品参申が昨年中飾られた未からバトンタッチを受ける座がしつらえられたホール回廊空間での室内祭り。
一方、宮崎市民プラザではDPI(障害者インターナショナル)の講師を招き、障がい者運動の新たなる展開が、社会全体で「差別」と向き合うことを共に考えようと自発的なタウンミーティグが手応えをもたらした。
都城と宮崎で同時に身体と知恵との競演が開催され影響を与えたことは夢と権利を愉しく主張して行くやり方を示したことになろう。前者は文化ホールのファシリテーター「赤い祭の法被、松原さん」により綿密に仕掛けられた音楽あり宝さがしに夢中な子供達と親たち向けであったがハレの気分が湧き出す神楽の様相だった。後者は参加して満足した奥さんの報告を聞けば、差別解消のパレードを企てている講師の言動力に感化されることがあったようだ。
前日には宮崎市の文化企画に参加したのだが「愛編む寺坂」の若草通っ子で現在在京の放送作家が高校生、大学生を巻き込んでのコトバのワークショップをお役所仕事を解体したカタチで、ホール満員の市民と楽しんだ。
同日の二件は障がい者とのコラボ祭り、差別との新たなる出会いへの刺激的事例。前日の市長挨拶から始まる歌謡ショウの紅白前口上試合と伊藤一彦短歌講評も、実はスクールカウンセラーと当時の引きこもり中高校生時代のある作家がという伏線があり、会場には聞風坊などの姿もありいよいよもって近しい人々にクローズアップが向く時代となっている。
そして、その予算をどう組むかの経済的基盤は、主催YAHDOはキリン財団助成で市の自主事業はもちろん我々も関与する市予算。そして経済のつながりは世界へとつながり、やれ武器だとますます騒々しい。いっそボランティア経済の可能性はと頭を悩ませる昨今、良い教材になる映画の上映とタイムリー。
「シャーリーとヒンダ」宮崎キネマ館名田支配人から聞いて益々興味が増した。アルパチーノが多動症の女児を治癒に向かわようとニューヨーク〜を奔走した読まれなかったレノン直筆手紙伝説脚色映画が開戦日&命日に割り込んだ結果上映越年にとのまつわるいきさつ。ロック伝説系信奉者として昭和平成栄華のパープルカーペットを小走りに生きた私は、過剰な経済史を問う老女らと志を重ねるのであった。