10月15日第32回ふれあいの旅
日向市産のちりめんパイをパリパリやりながら、昨日の実行委員会メモを山崎幹事ファイルから取り出し読む。8名の女性大半のメンバーにより日程、行程、チラシ(まだフライヤーとは言ってないようだ)、リフトバス(今回は老朽化の為一抹の不安をはらみつつ、らしい)、広報を粛々と決定したとある。そして、珍しい案件もあったようだ。親子参加は自立への旅ということで丁重に単独を薦めてきた慣行があったが、楽しく旅してもらうことが一番大事!と記してある。近い過去にも一人で出歩くな社会があったので、「おひとりさま」自立生活の確立を希望する旅でもあったのだ。親子参加も有りという逆転が発想される順調な実行委員会の議論だったようだ。良い風が吹いている。
ところで、女性ばかりでは不活発になるのではという危惧はいらない。藤原彩香の参画があった。あの手作り拡大オリジナルビンゴを製作した逸材。彼女と愛犬たちの再々?新生活の為に協会事務所で使われないままの電子レンジを譲った御礼。協会は非核三原則にのっとっているので持って行ってもらい湯茶スペースもスッキリ。彼女のあっけらかんとしたキャラクターが加わり幹事も長も委員たちも手綱の閉め具合があるというもの。
ここで、相当はしょるが。彼女からも熊本へボランティアをという意見が出たそうな。尚早ということで、ふれあいアート熊本編を練るというところで理事会等の議論を経て対応している。待たせている。
あの宮崎での震度の夜を、感じた時、3.11後に映画チャイナシンドロームを再見した時と同じシンクロを得た。今回4.14、16の場合は映画黄泉がえりだった。そしてツイッターで原作者に行きつき毎日の更新をニュースのように読むこととなった。最新版は納豆の生産が追いついていないとの食堂メニューのこと。
映画は死んだ人が蘇る現象のエンターテイメント。柴崎コウのコンサートへとクライマックスがたたみかけるような展開だった。そして、ふれ旅も半分くらいは阿蘇方面だったので、三井グリーンランドの回を追想する。あの時の参加者に高木葉子さん、清武町の茶房リーフの姿があり、親しくさせてもらっていたが、急逝されたと聞き驚くばかりである。熊本大学の新入生時に通学中の大事故で・・・。「もうこうなってからの人生の方が長くなった」と静かに笑う長身の綺麗な女性だった。喫茶店が点訳グループの溜り場だったり、母子ともにネットワークが広く安井息軒の塾かとも思わせる和風な空間は四季を発信し続けた。チャレンジ精神は針路が消えはしたが教職を追い続け、身障国体の水泳選手にもエントリーを続けていた矢先、激震が体内で起きたようだ。まるで事故後も生き続け蘇り続けたかのように想わずにはいられない。
話が湿っぽくなり過ぎた、梅雨の晴れ間だというのに。こんなグレーな季節にも、ほかの時期にもおぼろげながらも光を発する人がいる気がしてならない。ボランティアという価値観が現実主義世界と精神世界のあわいに靄のように漂っている、そんな世界のナビを事務所でしているからかもしれない。