チャリティコンサート
2016年6月8日
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昨夕のTVニュースでは水平線の花火ラストコンサートを告げていた今夏。フェスという響きは、我々世代には独特の夢を持たせてくれる。たしかニッポン最大のフェスプロデューサーも宮崎出身か?と思いきや人吉出身。孤島状態の我々文化はいきなりロック文化大革命を真に受けた訳だ。いわば青春のミッションがフェスだった。そう幕末の志士たちがギターをしょって江戸へと歩き出しそうな。今夏地道に続くコンサートが7月17日にある。まだ、西村が文化の発信地だった頃。今のタリーズ珈琲の場所はわけもんにとっての図書館だった。他にもレコード店は軒を並べ、今も西都市妻にはマルハチレコードがあるのは奇跡的。
そんなこんなで、おっとここでGBKに行ってて遅くなった野海さん来社。おまけに天才画家の誉れの高い中武卓さんと愛甲さんのどんこやコンビも訪問してにぎやかになった。さて、中断したが、魅惑的だが採算を考えていてははかどらない、赤字で済めば良い方で、紫の煙に巻かれるのがおちのフェス実行!89年には遂にウッドストックin平和台というのをやらかしてしまった。川原一之さんは律儀に来てくださって、観客よりスタッフの方が多いのに驚かれた。他にはにわ広告や焼き鳥寅家一家が来てくださった。平和が丘団地住まいの伊東絹子さんもだった。そして捲土重来を誓わなかったが愚息に汚染が及び、一緒に遊ばせてもらっている。
さて、ボランティア協会としても河野好博氏との日南大学コラボで平賀錠二さんらと幻の木崎浜ソニーロリンズ台風直撃編に居合わせたり、泉谷しげるを呼んだりとボランティアシーンとフェスのドッキングには何度もトライした。お陰で、放し飼いの公務員やらとも交遊を得て、守備範囲は広くなった。彼を喪失して20年以上が経ち、上々颱風も活動を停止したようで、一人白川映美さんが世田谷ボランティア協会のせぼねに紹介されていたりと懐かし系のネタは活きている。チャリティ系とボランティアが似ているところは無産主義系であるところで、NPO/NGOの世界に変わったのだから、会計を組み立て、助成やファンドを活かす活動に改変しなければならない。
ポスターの中身を詳しく読むと、延西OBの会がバックアップしているようで、つくもくんの作者彫刻家、奥村羊一さんの展示もあるようだ。アーチストとしては野田あすかさんのピアノもあるようだ。HPからコピペさせてもらった。歩みを終えるフェスもあり、新伝統行事として世界中で英国グラストンベリーなどそのまんま伝説のイベントも続いてゆく。毎週日曜日のお昼時には、ウクレレ漫談で寄付をつのる牧伸二の定番番組なんてのもあった。寄付行為が意外と目に付く時代だったからこそ大言壮語を実行してしまったのかなあ?意外と利他的な行為が経済を押し上げてたのかもと民衆のうごめきを正当化したくもある。ボランティア・フェス・NPOの三本の矢は当たらないかもしれないが、射るべきだとは思う。かなりの実行力が勝負ではあるが。
注釈:GBKは安達耳鼻科、彼を喪失の彼は、もちろん河野好博氏。