彩香の夢
県ボランティア協会が設立以来事務所を開き続けてきた宮崎県福祉総合センターは地の利が良い。一見平坦な姿の宮崎平野も大淀川のくねりに沿って、元の田園の形跡が細い路地にあちこちに見える。海岸線は遥かな浜が見事に南北に沿う。地名は西池、原町、江平、船塚などと肥沃な氾濫原野が元祖南海トラフ激震などを経て次第に時代の文明と共にまちとなっていった様子は想像してみるのも楽しい。ところで残念な話が持ち上がった。昨夜ふれあいの旅実行委員長は、ここ福祉総合センターエリアにある葬祭場に藤原彩香の密葬のはずが、あまりの反響に公開通夜・告別式になった現場に駆け付けた。そう、最近のふれあいの旅には欠かせない存在だった彩香は自死を。都知事騒ぎとバンド練習に初参加と熱中していた為、メールに気づかず本日正午の告別式には参列出来て、もやいの会の小林さんや県精神保健福祉総合センターのNPO同志の瀬戸口康成さん、他には自助グループ式部のメンバーと霊柩車を見送った。
「彩香の夢」とは何だったかは聴きそびれたが、父の挨拶には「きっと、いつか、誰かが、かなえる事でしょう。」と希望を捨てずに居られた。
我が家での普段の会話には、互いが認知の世代入りとか、ボランティア協会にまつわる発達障害の仲間たちのことが、愛犬や猫十五匹プラスアルファの日常と同様に語らずにはおれない日々。彩香のFBを介しての様子や身内のそれぞれを個性としての判断や発達する過程、プロセスと読書からの知恵を中心に話題にすることに慣れている。しかし、差し迫った苦悩のことなど知る由も無い。ただ、自助という範囲の持つ可能性には敬意を持って接したい。自助がボランティアシーンに開拓精神を持ち込んで来たことも喜ばしく思っている。
かっては、たらい回しのない、知らん!と関わりを断つ社会へ対して、多種な活動が集まってくるボランティアシーンの意義を深く思った。そして、NPO,つまり専門性を旗印にした活動法人の時代にと情況は二重に広がった。その広がりの中でも自助の世界ではアノニマス・匿名性を約束することで、安全圏を担保した上で、こころの治癒をうながし合う空間が大切にされている。その人からの発信を守るバリアが必要とされ、当事者の先行く仲間が囲って、絆が生まれる。ここのところまでは、障がいのある仲間との設計はモデルが出来上がり、法的バックアップも仕事と生活の保障という観点からアプローチが成されている。
ただ、疲れたりするのは、タイプ自身の内にもあることから、アイスブレイク、いっそ何もしない、様子をうかがうなどのひなた県民の得意とするよだきぼさえも効力を発揮するということだ。棺に入った彩香に、今生の別れを告げることは難しい状態だった。ならば鏡の中の世界に入って行ったと思おう。タカラジェンヌの演目にあるかはどうか?仮に、ジャンヌダルクのような32歳の生を終えたかもしれない彼女に。彼女の父と同じ言葉を捧げよう。「きっと、いつか、誰かが、かなえる事でしょう。」
梅雨の折、祭壇には紫陽花をイメージした喪の華が帯としてあり、若い女性らしく華やかさが躍るセンスの良いファミーユ清水町での別れであった。南阿弥陀部
なお、ふれあいの旅実行委員会のメンバーも夜、午前と駆け付け、ご家族は彩香の夢のめくるめくスピード感への思いが深く募られたようだった。彩香いつもよく頑張った‼︎