僕の友達
昨夜、趣味のバンドの練習で大塚台MMガレージスタジオ?で新曲をおさらいした。
キャロルキングのYou’ve got a friend。winter~summer~spring or fallという逆季節のフレーズが面白い、まあ「宮沢賢治の雨にも負けず」のような意味の歌詞なんだろうかと懐かしいメロディに挑戦が始まった。
ボランティアは目的意識の高さから、どこかに出向いて(社会のるつぼに接近することに意義があり)する活動で、地域での私生活と離れたシーンになりがちな側面を抱えて来た。しかし、ゆとり世代に象徴されるようにあくまでも自己が強調される時代のピークは今や「シェアする」がトップランナーの感さえある。現在においては政策も力をいれることから地域がクローズアップされて、ボランティア活動も包み込む意図がある。印刷されたばかりの福祉総合センターニュースには生活学校が紹介され、正真正銘最初から生活に視点を置いた活動団体が評価され事例とされる相当遅かりしと皮肉ってみたくもなる。まあ、生活学校も一線を越えた、いや二線も三線も越えた「やってやろうではないか」という意志の強さで本当の生活を訴えて来た面が素晴らしいはずなのだが。
婦人たちも僕の友達であったわけで、もう今はBOOKENDの歌詞にあるように公園ベンチに座す姿の方が似合う年齢になっても、まだ月に2回のエプロン作業姿はチャーミングである。
そして、今朝届いた写真をトリミングさせてもらったが、彼もまた僕の友達なのである。
地域が友達感覚を取り戻そうと力を貸し、何かしたくなる年齢の壮年たちが企画をひらめく、そんな地域が出現している。やがて、友達が困った状況にあることにも、なんとかしなければと活動が生まれるだろう。ボランティア活動では、そんな状況が当たり前で続いてきて、出る杭は打たれるなんて関係ない切り口で展開してきた。今、社会が立ち止まり、あわてながらも、事例を再検証し地域力に心血を注いでいることは確か。いや、ボランティア活動の中でも積み重ねをつくることは実際は不可能であったのであてにならないのかもしれない。うまくいくときもいかないときも、いやうまくいかない時の連続だったボランティア活動。僕の友達が居ることで励まされてきたことはたしか。
もっと有機的な構成であることに気配りをしながら、地域の時代のボランティア活動は価値観を生み出す理想の旗の下ある。