台本
水曜日午後一番、野海さんがやって来た。見てという。ipadをひろげ、FBに掲載された写真には、我らが生駒新一郎と九人のDANCEパフォーマンス舞台写真が数枚あった。背景の書の迫力の方を見てと強調した。墨字の十数枚がタペストリーとなってDANCEの背景書割となって、それぞれダンサーは愉しげに表現している。大村なつみさんの立ったダンスの様子も。どのシーンもMJ(都城市民文化センター)10周年の歓喜をにぎやかに祝って、パラリンなどで見せつけるすごさとは他の、喜びとペーソスを見せている。
次に「台本」と野海さんは近況を教えてくれた。協会事務所では、ふれあい別刷連載の野海靖治旅日記を仕事として執筆するが、もう一本並行して自宅PCには着々と「台本」が書き進められている。こともあろうに、その「台本」がnoteソフトが自動更新するため全体白紙を更新しそうな危機を先週水曜日に迎えたのであった。「きえた!」と驚きの声を先週の事務所で上げ、確かにipad上では消してしまった「台本」。そこで登場したのが、城戸松豪さんのアイデアだった。帰宅後、ネットにつながる前に「台本」をファイルしておく法だった。
それも、うまくいって、貴重な台本は完成へと拍車がかかっているというわけ。すでに平成の初期に出版という形で「ハンディエンジェルズ」を書いて、続いて原稿だけは続編も書き上げていた野海さん。書くことが天性。今では「書」のパフォーマーとしての領域でも遊ぶ。初著はTV探偵劇の中に自らが仲間と飛び込んだファンタジーのような出来栄えだった。そして、実家を出ての自立生活、フィクションかノンフィクションかのめまぐるしい生活も板について来年は48歳の年男として2017年に乗り込む。そんな生活の柱として、演劇は彼の本来の気質と相まって羅針盤となった。劇場に出入りする事、台本を書くこと、仲間を演劇関係者に増やしていくこと、いわば、平成末期の書生として文化的世界を電りきで歩き回っているのである。
もはや、少年期の出版から、いろいろな体験が自分でも想像を越えた数で経験済。近未来、彼が動いている宮崎市繁華街、もしやMJを抱える都城市、はたまた第2のホームグラウンド池袋、そこがティンパンアレイ化、ブロードウェイ化した時に、売れっ子の作家として舞台を股にかける姿が見える。その時、彼の創造力を支える人々もまた、その劇場まちで長屋の住人として何らかの職を得た住人としてますます台本に協力している図が俯瞰できるのである。
その下準備としては、野海さんは既に、カーネギーホールの舞台にも舞い降りている。それは第九を歌うツアーの一員としてだったが、のちに、自分が一座や演劇界で活躍する予兆でもあったのだ。わたしのたわごとではあるが、旅日記執筆中の隣席で、トイレ休憩を共にしながら、私にも架空の台本がこんな風に書けたのだから、この自立生活の主人公にシェークスピアの翼が生えてもおかしくないだろう。そんないろいろある事務所にも初秋の風がそよぐ。