もち米
「本日は休む」と野海さんから生電話を受ける。故稲垣政安さんは公衆電話そばを通りかかった娘を掴まえて電話させるというすご技の使い手だった。両方受け手としては感動ものなのだ。言語障害にもめげずコミュニケーションを繰り出してくるフットワークとハードなメンタリティ。一人は故人、若かった野海さんも酉年男の48歳。次世代のチャレンジャーたちとの遭遇を若いヴォランティアには体験してもらいたい。では、話の壺がいくらでも飛び出してくる野海さん欠場ということで本日は事務ボラひとりで拙文をひねらねば。
一方、メールにも野海さんが「旅日記奏でる編5」の原稿を送付してくれていて、母がもち米を持って来たのメッツセージ付きで。
MJ(都城市総合文化センター)の新春ロビーイベントのオープニングを書で飾った長男の様子を床からのカメラ目線で激写していた百合子さん。逢う場所なので一年間飾られるという「逢」の字を持って来た息子ならずとも誇らしい場の雰囲気に紛れてちゃっかりもち米を約束したのだった。おいしい手作り菓子やお米、野菜など介助のお礼として遠慮なく戴き続けたが、自由者野海の確立した姿には、もちろん家族愛の手放しがあったからに他ならぬ。
さて、メールには生駒理事からも29日のこども食堂開催のことにもふれたものが来ている。小戸公民館でのWAM事業との関連でNPOハウスでのこども食堂。昨年は県ボラ事務所も事業事務局を川﨑氏が担当されたので、高岡国道10号線を幾度か廃校指定管理の去川小学校へ通うこととなり、往年のメンバー井上聖子(旧姓物部)氏も企画を引っ張った。貧困時代の様相は、T大統領の美国とシンクロしているかのよう。ただしわが国では派遣村から政権を建て直す体験もあったので「こども」を引き合いに出しつつわが国手法で継続してゆく豊かさへの希求。
1月29日(日)10:00~12:30 (塩入好紀氏のトレーニング、野外活動、自然観察)& こども食堂の第3回目
生駒理事はどんこや施設長のころから東大宮と施設の力合わせを開拓したので、天満橋の北地域の小戸小学校地区の可能性にも関心を広げるのは当然。さて、筆者は16歳までを小戸小学校末元2区で育てられた。初めてのボランティア送迎は鶴島の自宅から原町へ女王蜂を連れ出すこと。その場所にNPOハウスがオープンし第1号の事務所入居にAAN川原一之氏が嬉々としていた。屋上に市民発電所の太陽光パネルが付き、天満橋が開通してからは県福祉総合センターと花山手の市の総合福祉センタールートは短縮された。
そうこうする内に、住宅地が古く枯れゆくように、宮崎経済もとうとうこどもの貧困まで引き起こしてしまった。そして、それでもこどもたちに!とあきらめない大人たちが助成金を財源にNPO試行錯誤をやっている情況。モデルが出来上がっても団体が自立しながら継続させていくのが辿り着いた世界。こどもとして小戸地区に生かされ、変なおじいちゃんになってしまってもボランティアを知る大人になれた。路地の残るこの小戸地区にはオルブライトホールまであることだしNPOハウスらしい地域展開が続くのであれば夢の中の私のこども性はもう一度おもいっきり自転車を漕ぎまわり、何かの財宝をきっと掴むはずだ。
P.S 野海百合子さん もち米は旧暦の師走に搗くのでと言ってました。お飾り分は自前のを済みました。酉年に入り盛大にまた、搗きます。ご子息のこの一年を一緒に応援できて今年もラッキーニューイヤー。