雲の階段
宮崎県福祉総合センターの掲示板には、県子ども若者総合相談センター「わかば」、こどもの学習に関する相談、まだ誕生しない「いのちをぎゅっと抱きしめて」と三種の子どもにまつわるポスターが情報を奏でている。そんなメッセージを新規採用職員研修(自治学院)のニューカマーらしき若者が読んでいる。どうも20代後期までは子供から大人への脱皮状態であることは子供を次第に脱ぎ捨てた経験を忘却したものの記憶に残されているはず。そんなさなかに今度は子育てに突入する。結婚はできちゃっても、子育てとなると育てられた記憶からエキスを抽出して挑まなければならない。記憶が不確かな部分は、それを呼び戻すツールが手助けしてくれる。そしてツールを選び間違えると子育てが教育、お勉強と狭い道、門を親子で進んでいることに気づかない。勉強が大人になるための手段と大いなる間違いを進む。
ここで、見つけた報告書より、興味深いアンケートを抜き書きする。「・子どもの育っていく環境について興味があった。まさに私が流れるように大学まで行き、やりたいことがない。見つからない。わからないまま生きているので、自分のことだと思いました。だからこそ自分の子育てはいろいろ気になります。いろいろな情報・知識を入れても結局どうすれば良いか正解もわからない。最終的には自分がどう思うかが大切なんだということに気づきました(30代主婦)」~昨年末の平成28年度NPO法人日本冒険遊び場づくり協会開拓支援事業実施報告書(宮崎県)主催団体 宮崎冒険遊び場ひみつきち 『2016天野秀昭講演会、小松台プレイパークin winter』より
大きな感動を呼んだ講演と翌日の大躍動のプレイパーク実施。その後ひみつきちは大々的にひみつを開示しながら新学期を活動している。おとながひみつを持つと悪いことをするが、こどもの成長のひみつを守り抜き、こどもに自然や命の大切さを知ってもらうことにすべてを懸けるのが親のしごと。昨日読んだ文庫にはそんなフィクションを雲の階段をのぼるようにとあった。(打木村治著)
世田谷だからできるのかと半分以上指をくわえていたプレイパークがご近所に出現し、こどもたちがプレイパークデビュウをしている。見晴らしの良い宮崎平野の一角、自然に包まれたロケーション内外に、少しづつ出来上がっていくプレイパーク。今日は小雨だが、晴れた日にこどもたちが競い合って雲の階段を目指す姿からは光が反射するであろう。