錯覚!
小雨の中、送迎サービスを利用した野海さん。黒木さんは両手にアルコール飲料空缶の袋を提げて。おのずとフェースブック投稿の話に飛んだ。みずからの行動は自分的には普通のつもりだが、アート商品化に苦慮するプロデューサーのつぶやきに錯覚に過ぎないと意見表明を返している。そこへ最近ウェブ工房でクリエイターの仕事に挑戦している和田ッチが城戸さんに相談に現れ、WEB表現の話が盛り上がっている。デザイン力と機材の話は在宅勤務が可能な時代ならではの精密な域に進む。昨日のMESC塾生もテレビ授業にPCに向かっていた。ヘルパー利用の人的支援計画のみならずITを使いこなし自己実現への道を進むのが普通なのに、アートの力を売り込む悩みは錯覚!すぎやしないかというところか?
さて、どれだけのネットサーファーが野海靖治フェイスブックに感心を持っているのかは、その後の一言に対する反応が今のところ2件あることで少なからず影響力を示している。「好きだった人に会った+快適マーク」の書き込みをせずにはおれなかったのだろう。このことも普通!決して錯覚!ではないという意思表示であろう。恋の終わりは一体何なのだろうか?その答えも持ったのかも。
今日の長友香保利さんが高次脳機能障害・家族会あかりのフライヤーの配布に来所時にも、菊永恵子さんを偲ぶ花の会の司会をリンタロウと長友さんでするらしいがよろしい。しかし、僕の時は司会して欲しくないとジョークも鮮烈!そんな野海さんがどう才覚を開花させるか。それも普通の野海さん次第ではある。
私は自分もみこしに乗りはしゃぎやすい。その乗りで過分に接近しすぎるきらいはストーカー的でもある。そんなぶんぶん蠅にもめげず普通!の完成度を酉男野海さんは築くのみである。ネット上はそんな人間関係の比ではないこと、WEB上の詐欺行為に巻き込まれないようにと注意を促してくれる城戸さん。ツールとして利用するWEB世界でも普通に!は困難なようだ。
カッパを着せてもらい花山手に向かうという和田ッチを見送る城戸さん。かっぱを着てる電動車椅子を自分と間違う人がいると笑う野海さん。障がいのある人の見分けがつかないというのもなるほど錯覚!ではある。自分の審美眼を正確なものと鍛え上げていく上で表面上の感情の揺らぎのみに左右されていてはアートの力もみなぎらない。錯覚!に込められた向上心には厳しく厳しく応じていくのがいつか障害のある人も含めた普通の人が地平にすっくと立ち夕日をあびる丘への道筋であろう。我々は単にこの世界へ「客」として在るのではない。ちなみに「菊永恵子さんを偲ぶ花の会」の日程は再来月6/25花山手宮崎市総合福祉センター視聴覚室。