古都奈良ボーン昭和50年
一昨日、鳴り物入りで開催が待たれた「in川南 わたぼうしコンサート」が盛況にうちにエンディングでは定番のふーんわりふわふわの大合唱で終了。MCの女性がこころ目線でインタビューするのが特色の定型。川南でも司会者は盛り沢山の登場者を軽妙にさばいてくれた。まず、宮崎のわたぼうしコンサートを回顧し、発祥の奈良にリスペクトを込めた宮崎版からスタート。全国にも波及した宮崎では車椅子ディスコが当たり前現象に代表されるならではの一大ブームの余韻は37年バイブを続け、8/20には、同様の長崎コンサートと回を更新する。
入場者の顔ぶれも、日高のおばあちゃんら福祉を愛してくださっている女性陣が酒井靖ボーカルに引き込まれ、協会事務局にも席を置いたるんるんは現職の石井十次社から少年を率いていた。37年ぶりの歌うボランティア結集でもあり、舞台スタッフから車誘導の奈良修業に出された福祉管理専門学校卒業生立根氏らと今ではそれぞれの部屋の親方クラスにおさまった面々が懐かしく迎えていた。
そう、人権的配慮を掲げたコンセプトはボランティア自身のライフスタイルをも同じ空の下、励ましあっての元祖40年、5年後に種が降り立ったこの地、宮崎。そして復活祭の川南。
プログラムは中盤にかけプロフェッショナルな奈良の演奏と山口周南のバンド客演で沸点を迎える。かってエデンの園のグレープフルーツはわたぼうしの枠を超え世界へ鳴り響いたが、今が旬のファミリーごとやって来てくれたみかん達は、メッセージングを言葉と表現力でぶつけてきて、奈良の演奏と互角のパフォーマンスを繰り広げた。
いつもは眠っている感性を呼び起こすわたぼうし。やさしさに包まれるヘブンズ体験を来場者、縁の下の皆さん、そして川南の地に刻印する仕事を終えた。
「誰々は?」とさながら、避難所で親戚を探すというようなサンA川南ホールの陽光が降り注ぐエントランス。逢えた人も逢えなかった人も新しい相互の出会いもあり、参加してこその意義を特にこのイベントは学ばせてくれる。「マッチは来てますか!」の呼びかけに財部さんとの同伴と答え、えっ?きてないの?と不安がよぎったが。序盤のアイスブレイク的コーナー[Dont’Be Sorry] がダンサーで盛り上がると3台目の電動が登場し永山昌彦氏は照れながらスポットライトを浴び健在を証明してくれたのだった。財部豊隆さんと田島さん↓37年ぶりの開場前
ビデオの田島さんは当時高鍋高校生だった。リーマンショック以降の苦難にもあうが帰郷後のリフレッシュの意味も秘めていると近況を語られた。