7月11日
2017年7月12日
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昨日、7月11日ふれあいの旅実行委員会(第5回)が開催され、ボランティアの群れを率いる公立大生3名の参加を得たと事務局日誌に山崎光代が記す。正午に鹿児島で発生した地震直後だったため〝コワイ”という不安感はぬぐえないが、それをとっ払ってやっていこう!と再認識!!と筆圧も強く記録にある。前回は宗像に宿したら、そこらあたりが世界遺産になるは、キャナルシティで爆買いツアーを繰り広げれば博駅前が大陥没するわで、世の話題が渦巻く処にふれ旅の軌跡がシンクロする。
これはボランティア活動体全般にあったことで「世界と活動のシンクロは何かを意味づける」のではという珍説はひゃらひゃーっと並ぶ。天の岩戸伝説以来、我々もこの世のストーリーテラーなわけ。一例のみ開陳すると、全国的なボランティア活動胎動期に青島に全国から800名が二泊三日の研究集会を繰り広げ宮崎からの発信としてもう伝説の域にあるのが平成元年2月11日のこと。会場を一か所で完結することができた観光宮崎のレジェンド橘ホテルは、最近も実は廃墟に地下空間が現存するというニュースできわどく歴史を刻印し続ける。バブル後営業は衰退し名前さえも消えた。しかしながらふれあいの旅が奇跡的に継続する内に、近場でというプランでこどもの国隣接のホテルで挙行された、公立大生が実動してくれはじめた頃、綾のクラフト展に迂回し、じっくり青島散策、サーファーや高校生までもが介助に駆け付け、ランチしたり、これまで泊りの参加が出来なかったボランティアも加わり、翌日には日南海岸もドライブという宮崎観光のモデルコースを堪能できたもんだ。そして、2017年の今、青島は観光の起点として確実な復活を!我々は時代の証人とおせっかいし続ける。