つち いと ひかり
ギャラリーで親子三人展を鑑賞した後、ウィンドショッピング同士のばったり出会いがふれあいの旅ボランティアに何回か参加してくれた若い女性。作品を観た後、カフェでの飲食も済ませ満ちたこころは、躊躇なく駐車場へ歩く道で声掛けできた。「ふれあいの旅のボランティアしてくれた人ぢゃねえ!」「えっ?!」
変人に出会ったというのでもなく、私の存在を識る人との思わぬ遭遇だと前向きに受け止めてくれた。33回目の実行委員会が奮闘中、あなたも是非!と畳みかけたいところだが、言葉少なに来てみらんねと情報提供した。彼女にとって選択肢の内にボランティアが眠っているだろうから、一緒に風にならんねとの気持ち。
恩着せがましくもなく、押し付けでもなく、自然にまかせる関係づくりの難しさ。自然から学習できた作法は、自然が不自然に陥った危機的盛夏の昨今、風が伝えてくれそうにもない。そのために識るとは何かが凝縮されているのがアートであろう。脳の潤滑をうながし自然と調和する開眼がもたらせられる。
今回の個展は、表題にあるように、土=陶芸、糸=原形・デザイン、宇宙にさしこむ光をそれぞれの目撃者に繫いでくれるものだった。いのちにつながる生きるという普遍性。つながる糸を紡ぐ。前の世代は点から線で面へと事業の成り立ちを理解するところまで至り、我々に伝えた。後継たる者は、さらに自然回帰、自然な心の恢復を同時進行形で意図するあたりに差し掛かっている。どんなに野獣性で牙をむこうが、宇宙に包まれた自然は次々にいのちのつながりを蜘蛛の巣のように広げ続ける。そこが照らされ、反射し光源は霧に包まれているかのようだが、安心波動はみえなくともそこから感じられる。
今週の水曜日は、昨日の実行委員会の機関車的活発の余韻を少し残していて、個人会費納入というベテランボランティアをも呼び込んだ。いのちがつながり広がる時と同じくして、共通点はタダだということのボランティアもあくまでも池の波紋のように広がり収縮を繰り返す。
よき縁につながり根源のいのちへの安心感さえもっていれば、生きて行く!
冒頭の街角でのボランティア志願者とのつながりが彼女の創造性を高めれば、ドラマとしての旅に役者が増え、彼女の世界でのプリンセスであるはずの不思議の国の王女は果敢に生きて行く内の一日を輝かせるだろう。音楽やものとしてのアートに包まれ、やさしさに包まれ、かつ勇気をふりしぼり生きる。
協会事務所を続けることも、生きる!に通じてのことである。