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ふれ旅三十五次

2019年10月2日 ふれ旅三十五次 はコメントを受け付けていません

飫肥、西都原、宿泊は高千穂からというふれあいの旅シーズン1を振り返る。所用でまほろば福祉会本部事務所を訪問した。エントランスで山中道夫氏と井戸端会議が。筋ジストロフィー症の仲間の快挙的家庭生活など。

先ずは、ボランティアシーンで若者たちが熱中時代を供にした磁場「国立療養所・宮崎東病院」今昔物語をたて糸に、外部から入りやすかった3病棟の少年患者たちと、そこの空気に魅せられたボランティア連との交流が横糸となり奇跡を起こす時間の力により織られたタペストリーを背景に還暦越えの二人は、高原町の新家庭の誕生ニュースを喜び合った。

その入院生活当然から脱した家庭生活、伴侶を得た30代の若者は熊本の学生生活あたりから開花を始めた物静かな印象を先輩である山中氏には与えていた。そして山中氏がそもそも物静かな印象を我々ボランティアに与えていた訳で、山下ヤス子さんの後押しの大きさに応え、今のBE FREEでの生活は12年の喜志子婦人との家庭生活であった。

さて、重度の障がいの男女限らず満員のバスを仕立てて、その時泊まったのは何と西米良。しかも廃校利用の農家民泊のはしり。すでに観光地としてその名は消え去って久しい。近場なので重度の山中さんら筋ジストロフィの若者らをけしかけ、スペシャルプログラムとして宮崎わたぼうし会が校庭コンサートをやった。花火も一発上げた。先生の特技として運動会用の花火を持参したのは原田恒夫理事であった。

県職員として国民健康保険加入促進で過疎地を飛び回った職歴の野戸哲哉事務局長のアイデアと重度でも可能のニーズとわたぼうしをはじめ熱中ボランティアたちの一夜の祭りは明け心地よい眠りにさそわれながら一ツ瀬川沿いを下るバス旅。

誰も考えつかないキャンプのようなふれあいの旅もあった。身勝手だろうがやりたい若者たちを信じ、いつのまにか同期してしまう大人たち、荒削りなやり方も基本の財産として秘蔵するふれあいの旅。

ふれあいの旅シーズン1は飫肥、西都原、初宿の高千穂、思い切った別府と貸切列車旅が続くが、ユニークさではピカ一の米良の里もあった。その後やっぱ♨という狂乱の京町温泉と鉄路をひた走った。

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