ぴ~すけプロジェクト

2020年12月2日 at 2:51 PMCategory:お知らせ

山崎光代スマイルがさく裂した先週土曜日のZOOMふれあいの旅。画像はぴ~すけプロジェクトに上げられている。本日は右のふれあいアートの様子部分だが、連日のカメラの前でのパフォーマンスにはどっと溜まった疲れが出たようで愛車の足取りも重く帰った。お疲れ様!

それぞれ、担当の生駒理事、辻利則会長からご報告いただくがZOOMふれあいの旅に参加した部分を振り返り実況いたします。

ZOOM参加はYAH!DOみやざきZOOM総会で初体験だった。アポロが月への実況をブラウン管越しに注視した世代にとっては、同時通訳のノイズ歪みなどなしの自前放送局の滑らかさに驚かされた。用事で家のipadで試験放送風景を確かめた後退室、用事の穂っと穂っとケーキ予約後にセンターに寄ると、ミーティングルームにふれ旅メンバーがプロジェクタースクリーンに向かいプログラム後半となっていた。凌雲会館の学生たちがA>B>Cチームの順でカメラに向かい質問コーナーとなった。光代さんから事務所のパソコンもつないであると言われ、事務所席にいたので「ふれあいの旅」の過去を問われ、書架から十年史「愛」を出してレンズに向けおしゃべり。何しろ学生が係わっている今36回のカウントzoom版まで永い回数に感心するのも当然。そして学生に身近な辻先生のもう一つの顔が宮崎県ボランティア協会6代目会長という公職者であることも再認識しただろう。

別のチームの質問「どこへ行きたい?」では飫肥自宅からの参加、岩切秀樹「沖縄でスキューバダイビングを!」桜ヶ丘町自宅・永山由美好「県内でも北浦がおすすめ」とリターンがあり、バスに揺られながらのいつものアンケート収集パターンが安定感のあるやり取りであった。

ちょうど1時間番組が流れるように進行するようなZOOMふれ旅であった。今振り返ると日田のトイレで並んだ野球部の選手だったかはWEBごして定かではないが、結構親密感が飛び交っていたのも不思議。遠路に同行するのも旅であれば、あそこに行こうか?おしゃべりし合うのも「旅」というものだと感心した。

水元良憲です。

2020年11月25日 at 3:45 PMCategory:お知らせ

観覧車が大好きなふれ旅歴代参加者のご夫妻。ハウステンボスのは4メートル高かった。のだそうで、アミュプラザでうみ館屋上でそっくりさんに逢った報告に見えた。

ふれあいの旅2020が動き出すとたん、ボランティア具の歯車も共鳴したらしい。街のにぎわいに誘われて、動かなくてはおれない。動くことへのご褒美みたいな出会いの歓喜。ボランティアの神のはからいであろう。もう観覧車は宮崎にはないのだが、ふれあいの旅の記憶と共に故郷を見下ろし回り続けている。水元さんとみんなの心に。

ということで、フェイスブックからのお知らせをここに掲載

ふれあいの旅2020~オンライン交流会~  のご案内宮崎県ボランティア協会の山崎です。少しずつ寒さが増してきました。皆さまにはお元気でお過ごしでしょうか。さて、今年度のふれあいの旅は中止となりましたが、宮崎公立大学の学生さんや辻先生の提案により、ふれあいの旅2020~オンライン交流会~を行なうこととなりました。日 時 2020年11月28日(土)10:30 ~ 11:30場 所  宮崎県ボランティア協会事務所 & 県福祉総合センター1Fミーティングルーム ・リモート設置のない方はおいでください。(※コロナ対策により6名の定員となります。)または 自宅 宮崎公立大学から配信します。内容につきましては、下記をご覧ください。画面を通しての交流となりますが、楽しいひと時を過ごしましょう!そして、次回に向けてつながっていきましょう!【参加申し込み・お問い合わせ】宮崎県ボランティア協会 電 話 0985-29-2949メールmiyakenvora@kind.ocn.ne.jp(ふれあいの旅・山崎宛て)     facebook のメッセンジャー(山崎宛て)

ふれあいの旅2020

2020年11月25日 at 2:14 PMCategory:お知らせ

いよいよ動き出しているふれあいの旅2020

和田ばあ鬼

2020年11月25日 at 1:45 PMCategory:お知らせ

明日はあわいや、土曜は三股町お寺の子ども食堂で上演会!

おひさしぶりの第1.4水曜日・県ボラ事務所当番。マックコーヒー片手に消防署の訓練@交通公園の騒然の火中事務所ではわだっちと城戸氏がIT研鑽ばなし中。

挑戦中のどんこやホームページ作成もすすんでいるようだが、今から劇の最終練習とのことで隣館研修室へ去った主演役者の和田祥吾。リクエストに応え役のおばあさんの表情をしてくれたが、何と鬼にも変化するのだそうだ。まるで天下一薪能スピンオフではないか?41歳の電動サッカー男も脂の乗り切った時期のようだ。

「薔薇色」納宏子

2020年11月4日 at 6:43 PMCategory:お知らせ

みんなが笑うけど。人生薔薇色。まわりを見渡すとにぎわいは確かにもはやない。四十中頃から思い余ってそとにでるまでかかった時間を振り返ると今の若い人が自分はひとりぼっちと思い込む姿にシンクロする。外ではともだちがたくさん出来、言いたいことを言い、したいことをし、おこりもした。

後期高齢者になってしまいました。とうとう!。とユーモアのセンスに磨きをかけ、ずっと一人暮らしがポリシー。

若い人へ、おじいちゃんおばあちゃんが困っていたら助けてあげてほしい。買い物とか話し相手でも、できそうなことを。その足にと自転車寄付もしてくれた。

発達

2020年11月4日 at 4:54 PMCategory:お知らせ

疑似体験ワークショップではないが、第1水曜来所野海さん入院で来れずのメール開く。旅行日記では旅先での理不尽な障害者対応が訴えられ、そこを乗り越えている臨場感に読者は感銘するところ。今回の再入院も初動期の大変を超え、治療体制とうまく噛み合い完治を望む。

ハーモニスト

2020年11月4日 at 4:54 PMCategory:お知らせ

自然保護の観点のハーモニストのようだ。エボニーアンドアイボリーでポールマッカートニーとスティービーワンダーは鍵盤の上にハーモニーと韻を踏んだ。酒という自然発の媚薬を作り続けた事業がその保護活動にコミットする。

アポーペンで行く

2020年10月28日 at 5:08 PMCategory:お知らせ

写ってないほうのフライヤーは、イベントサポーター募集❣期間令和元年11月25日から令和3年4月30日国文祭・芸文祭みやざき2020公式ホームページを・・・

イベントとネットワーキングが合わされば「祭り網」となるのでは。大崎上島町社協(広島県)の事例発表の紹介文「サロン活動が中止となる中、ZOOMでの昼食会を開催。映像が止まるたびに地域の若者と社協職員が当該地帯へ走る・・・。様々な苦労もあったし、笑顔もあった。今後は喜びも苦労もともに分ち合う開催支援ボランティアを要請予定。」サロンは地域の目玉お宝、密が良かった!自粛で出れないのならZOOMでも密は作れる、だがしかし顔が出らぬ。すわっと駆け出す社協マンら。自粛の大前提の前でも密に突き進むイベント。そこにはきっと幻の密が出来上がる。動かなければ出逢えない みつを

書架

2020年10月16日 at 4:48 PMCategory:お知らせ

書籍がやっぱり慣れている?が、YAH!DOみやざき+ZOOMでの総会に出席。盲導犬MAXがひざ下にいて、門川、花山手、都城、その他の参加者もいてアイリス大山大画面にはこちらの様子も反映されていて、昌彦さんのPCで快適に操作。

IT操作にまだ不慣れな内は、書架が知恵の蔵。「みやみん」の呼び名も一新した宮崎市民活動センターにはコロナでも続ける活動者たちが熱心に集う。二段目にはMJのダンスワークショップがリモートで。セボネの表紙イラストに惹かれて読み出すと、川崎市の事例に納得。編集者の手腕向上が見て取れる。下段には活動といえば長野のかわらばん揺るぎない。そしてしっかり読み物化して素敵なウォロ!まだまだ直観と書籍の相互作用は、ITのそれとは別のDNAを育み続けそうである。

野海靖治エトセトラ日記11

2020年10月7日 at 5:53 PMCategory:お知らせ

野海実行委員長再来!思っていたことを書いて送ってくれた。日記とは別な味で。長年ボランティア活動に加わってきた前後のエピソード。固有名詞が懐かしい。伏字はWEBマナーとして処理。

2012年に前の「ふれあいの旅」の「実行委員長」だった和田君から、「『ふれあいの旅』の『実行委員長』を引き受けて!」と言われて、その年から「ふれあいの旅」の「実行委員長」を引き受けた!

僕が初めて「ふれあいの旅」というイベントのことを知ったのは、30年くらい前に参加した宮崎県主催の「ふれあいの翼」という「障がいがある人」とその家族を北海道に連れて行く旅行のときだった!その「ふれあいの翼」の田野にある専門学校の学生さんがボランティアとして参加されていたから、その学生さんの出迎えで、その当時、田野の専門学校で教えておられた押川先生が来ていた。その押川先生には「訓練キャンプ」のときに大変お世話になっていた先生だった!「ふれあいの翼」の最終日に母が押川先生に「何か(僕と)参加できるイベントがあるのですか?」というようなことを聞いて、「それなら、『ふれあいの旅』があるよ!」ということを教えてもらって、しばらくして、押川先生から「宮崎県ボランティア協会」主催の「ふれあいの旅」の申し込み用紙を送ってもらった。

でも、その「ふれあいの旅」の日は弟の運動会みたいだったので、「(母が)いないとダメだろう!」と思い込んでしまって、結局、「ふれあいの旅」には行けなかった。

その頃、永山昌彦さんがアメリカに行かれたことが新聞に連載されていて、僕はそのことを羨ましく思っていた!そんなとき、宮崎で「ふれあい広場」があって、そのときも押川先生に会って、どういうわけか、母が「(僕が)昌彦さんに憧れているのですよ!」ということを押川先生に言ったら、押川先生が昌彦さんを紹介してくれる事になった!そのときにも、昌彦さんから「ふれあいの旅」のことを言われたけど、母の都合で行けなかったことを伝えると、「(僕)一人で行っても良かったのに!」と言われた!

そのあとの何年かは「ふれあいの旅」に行けるチャンスがなかったけど、この間に、都城の社会福祉協議会が主催しての「ふれあいの旅」が何回かあって、その「ふれあいの旅」に3回、参加した!都城の方の「ふれあいの旅」は、「福祉バザー」の売り上げでやっていて、もちろん、「宮崎県ボランティア協会」主催の「ふれあいの旅」とはまったく、関係ないのだ!なので、同じ「宮崎県」の中で「ふれあいの旅」というイベントがあったことは、今、考えてみても疑問に思っている。最後に都城の「ふれあいの旅」に、そのあとすぐに、「点字図書館」に行かれる又木さんに「朝風呂」まで付き合ってもらって、とても楽しかったけど、いわゆる、「頑張っている障がい者」や「感動〇〇〇」という臭いがプンプンしていたから、その次の年の「ふれあいの旅」には行かなかった。「福祉バザー」がなくなったこともあって、都城の「ふれあいの旅」もその年でなくなってしまった。

それから2、3年経って、やっと、「宮崎県ボランティア協会」の「ふれあいの旅」に参加することができたけど、「ふれあいの翼」に参加したときと違って、一人でいろいろなところに行けるようになったことで、「旅」に対する目がこえてしまったことと、「ボランティアさん」たちがかなり、「上から目線」の人が多いように思ったから、「『ふれあいの旅』には二度と行くものか!」と思っていたけど!

その次の年に、初めて「宮崎県ボランティア協会」の総会に参加したときに、「『ふれあいの旅』なんて、意味がない!」と言ってしまって、その当時の「ふれあいの旅」の「実行委員長」だった中村さんから、「それなら、『ふれあいの旅』の『実行委員長』をしてみろ!」と言われて、喧嘩になってしまった!

2001年から「宮崎県ボランティア協会」の理事になってしまい、「『ふれあいの旅』を面白いものにしたい!」と思って、「ふれあいの旅」の担当を希望してやってみたけど、「宮崎県ボランティア協会」の理事になって、はじめの方の理事会で、ある人が「『ふれあいの旅』のときは『無理矢理』でも親と離すべきだ!」という主張を聞いたり、今まで「ふれあいの旅」に参加している人や、実行委員をやっていた人から、「そのままの『ふれあいの旅』がいい!」と言われたこともあって、「『ふれあいの旅』を変えてくれるな!」というプレッシャーもあって、なかなか、思い切ったことができなかった。

僕は「『ふれあいの旅』のときは『無理矢理』でも親と離すべきだ!」という言葉を聞いて、特に宮崎の人はそうだけど、「『障がいがある人』は『(障がい者)施設』にいる!」というイメージが強いから、「別に『ふれあいの旅』のときに親子で参加している人を『無理矢理』に離す必要があるのかな?」という自分のこととはまったく違うことを思っているし、重度の人になるとなかなか、家族と一緒に旅行することができないから、「ふれあいの旅」を「家族旅行」として利用してもらいたいという思いもある!
「『ふれあいの旅』を変える!」という個人的な目標はなかなか、できないまま、まさかの、「ふれあいの旅」の「実行委員長」を引き受けて、ほかにもやることがあるから、「実行委員長」としての活動をほとんど、できなかった!それでも、長崎や福岡など、「ふれあいの旅」にとってははじめて行く場所に行けて、「実行委員長」としては良かったと思っている!

それでも、「『ふれあいの旅』を変える!」という思いは捨て切れなかった!そういうのも、「ふれあいの旅」の目的としている一つに、「『ヘルパー』の『資格』を持っていない人でも、気軽に『ボランティア』として参加してください!」とチラシに書いてあるけど、「トイレ介助」をお願いする時に、「うちの会社は『ヘルパー』の『資格』を持っている者がいないので、二度と『トイレ介助』のお願いに来ないでください!」と言われたことが何度もあった。

それと、「ふれあいの旅」の実行委員会の打ち上げのときに「ヘルパー」さんを連れてきていた実行委員がいた!「『ヘルパー』さんと一緒に行く時は『ヘルパー』さんの分も払う」というルールがあるから、一応、幹事の山崎さんに聞いたら、「私も公立大の学生さんもいるから、『大丈夫よ!』と言ってみたけど・・・」と言っていた。僕もほかの「障がいがある人」から「『ヘルパー』さんと一緒にいなさい!」と言われたこともあるから、「どんなときも『ヘルパー』さんと一緒にいないといけない!」というプレッシャーがあって、「ヘルパー」さんを連れてきたとは思う!

僕の場合は「遠慮する」気持ちが強いから、家族とか「ヘルパー」さんがいつも一緒だと何もできないのだ!「ヘルパー」という存在は「必要」だと思うけど、ある程度は「ヘルパー」さんがいなくても大丈夫な社会にするために「ふれあいの旅」が「必要」なのだ!

それで、古賀さんの「ダイナマイトマーケティング大学」で、「USP」のときのように、この場にいた人たちで「ふれあいの旅」の事を考えてもらった!でも、「ダイナマイトマーケティング大学」の時に考えてもらったことを、また、「遠慮する」気持ちが出てしまって、肝心の「ふれあいの旅」の実行委員会の時には提案できなかった!

そして、2017年の「ふれあいの旅」の行き先は熊本だった!「路面電車に乗る」ということがその年の「ふれあいの旅」の「目玉」企画として、阿蘇に行くという旅だった!

そのときの「ふれあいの旅」で僕のお世話をしてくれる「ボランティア」さんは、綾で「障がい者施設」をしている人で、今までの「ふれあいの旅」の中で一番、「ユニーク」な人だった!でも、その人は、「障がいがある人」に対する介助の仕方にこだわりというか、かなり、「思い込み」が強かったみたいで、「ふれあいの旅」の「事前説明会」のときに、僕は「食事介助」をしてもらうときには(僕の)左側から介助してもらう方がいいみたいなので、思い切って、たぶん、公立大の学生さんだと思うけど、「食事のときは左側に座って介助してください!」と教えても、「ふれあいの旅」でお世話になる人が「食事介助をするときは右からって決まっている!」と言われて、その学生さんを右側に座る位置を変えられてしまった!「なんとか、教えたのに!」と「悔しい!」というよりも「あ然」だった!それと、「お風呂の時はTシャツを着ないと・・・」というアドバイスを公立大の学生さんたちにしていた!僕はこの言葉を聞いて、「ゆきわりそう」は、お風呂の時、介助してくれる人も裸でしてくれて、初めて「ゆきわりそう」に行ったときにはかなり、驚いてしまった!人によっては、障がいの関係で介助の仕方が決まっている場合があると思うけど、僕の場合は、介助してくれる相手との「信頼関係」もあって、介助してもらうから介助の仕方に「絶対、こうだ!」ということはないと思う。

そんな「ふれあいの旅」の本番は、とても楽しかったけど、阿蘇の義手の方がやっている「美術館」は、「頑張っている障がい者」や「感動〇〇〇」という臭いがかなりあって、「こういう考え方の人もいるんだ!」と「あ然」とした!今でも「『ふれあいの旅』を変える!」という思いがあるけど、いったい、いつになるかな・・・。