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ボランティア身の丈論(写真は、第1回ふれあいの旅。飫肥へ大盛況)

2014年8月11日 ボランティア身の丈論(写真は、第1回ふれあいの旅。飫肥へ大盛況) はコメントを受け付けていません

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NPO法に参画する前に、協会のビジョンを描くのに「身の丈」にあった現実的歩みをという見識があり、しかしそれを現実に出来ないまま走り抜けた経緯を記憶する。今となっては世の中にも許容範囲というものがあり、そぐわぬものははみ出してしまうという教訓を言われていたのだと良く理解できるのだが、ペースを保つ知恵が回らなかったようだ。数百人規模のふれあいの旅人気もその筆頭なのだ。福祉から世界を変えようと大きく出たのは確かに良かった。しかし、経済発展の力に振り落とされたか、便利さは得たものの、貧困や規格外視される側がちりじりにばらけた自由社会というところまで物語は進んできたようだ。あげくに頼りの経済が破綻中という見識も嘘とは言えないかも。世の中自体が全体の身の丈論に知恵を注がなかったとも。
今、60人規模でそれほど波及効果も目立たないかもしれないが、淡々と実行委員の手で進捗するふれあいの旅は、次年度の募金助成のプレゼンも控えている。まさに身の丈にあったふれ旅をしばらく継続出来ている。母胎のボランティア協会の方は相当スリム化されて事務所維持に徹する。
福祉を変えようビジョンは写真の第1回の飫肥に置き忘れたままに近い。ボランティアは参加する福祉と訳され進展し、災害時の貢献は定番となっているが、目の前の気づきに動く学びの本能的実感は便利さと引き換えに薄れる。それぞれの生活レベルで助け合える自己完結型社会を構築するなら、身の丈を測る心配以前に、どう変身したいかデザインの愉しみを試行錯誤できる。案外、若草通り界隈でもごく一部の若けもんが履いたロンドンブーツなる、所謂下駄があった。そんな奇抜な意思表示が硬質した社会の柔軟許容範囲を広げる。身体をくねらせた電動車椅子の人が行き交う社会づくりの仕舞い込んだままの旗を、ふれ旅の時ぐらいは降りながら佐賀に行こう!

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