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恭賀新年 since1981 県ボランティア協会

2015年1月6日 恭賀新年 since1981 県ボランティア協会 はコメントを受け付けていません

会員、支援者の皆様へ
お手元にはふれあい(情報誌)共々お年玉フライヤーの郵送が届けられ、ご挨拶に替えさせていただきました。
が、改めまして今年の皆様、webの閲覧者の方々へお慶びを申し上げる次第です。

何やら首相談話に注目が集まるタイミングです。リーダー理事の古参として協会談話を記します。

たまたま、前の更新にAANアジア砒素ネットワークからの情報を載せて会員の活動へリスペクトを感じております。
ニュースレターによりますとアジアの最貧国でのNGOの開発支援には先が見えにくい様子です。
振り返って、我が協会も紆余曲折があり今年を迎えております。経済的確かな自立と運営の安定には30数年の体験では得られない伝授が積み重ねられないままのようです。

県福祉総合センター新設時に、当時の国体開催の機運に乗り社会福祉協議会に集約されたボランティア力は、2020Tokyoに結実するであろう連携に似た始まりでありました。石井十次が顕彰されキリスト教的博愛が事例と掲げられ白紙の状態から福祉の全方位、障がいの種別を総合した政策への提案型ボランティアが緒に付いたのでした。

行政力は福祉施設充実に走り出し住民参加としてのボランティアに力点はあった。しかし、協会に集まる体験の呼びかけは
援農であったり、台所で滞る牛乳パックのリサイクル推進など、また専門性を問われる点訳朗読、手話などの学びであった。相手の顔を識り、心動かされ、しばらくは志を供にする自己犠牲を涵養してやまないプロセスに多くの人が経験を積んだ。ひこばえ村、みずよ高原の名は十次の実践にも劣らぬ。土呂久、なのはな村、中心の里に集まった魂たちの日向新しき村的生活は自然と融合しユートピアを夢見せた。
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(カットは、化石恐竜の紙模型、もう、すでに化石?ボランティア⁈)

福祉から教育また医療へと拡散するボランティア体験は風と共にやって来た。文部省系列の推進機間から派遣された一年間ボランティアプログラムに参加して来た勇気ある若者たちを一ツ瀬病院や仲間の家が受け入れに手を上げた。
文化を纏い面白く支援を拡げる力を学ぶことこそ活動である。経験不足ながら若者は識った。

そして、20年前最初の震災の知らせが!

自発的な衝動のまま、動いた若者たちの帰省後の受け皿として協会は社会福祉協議会と共に機能し、また力も得た。そこではシルバー壮年と黄金期の若者とのコラボレーションが展開する。今現在も各僻地で展開しているであろうまちづくりの連帯感が拡がる。また、災害と国土開発ラッシュの同時進行に自然からの祈りを唱える串間幸島の老婦人の下へも言葉を探しに智者は集まった。大衆へと飛び火したボランティア力は、ただただ整理しきれぬまま消費の一途にならざるを得なかった。それは今もこれからもであることを肝に銘じて体験を今度は小声で叫ぼう。

さて、各人の現場へと続きNPO時代の新世紀で協会は活動を続けている。年末の理事会には継承者の代表として生活学校も座られアイスブレイクのワークショップも楽しまれ、会員に先駆けぴーすけカードも被支援者本人として携帯されてIT化される活動シーンにおくれはとっていない。私も含めいつかは要援護。サービスを選択する時ボランタリーな商品を当然選べるはず。そんな選択眼を体験から身につけるのも情報整理人としてのボランティア活動家のスタイルである。

また、長々と書いてしまったようだ。書いただけ実践につながる勇気と好奇心をいつまで持ち続けられるか?それこそ自己責任ではある。お後がよろしいようで。今年も徒然なるままに協会事務所の様子をお届けできる望外な喜びを感じさせていただいております。かしこ

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