お年玉ネットワーク??
水曜の事務所、昼休みに歩きに出る気象予報士県職OB村岡さんの手には傘が「今から振ります!」顔を合わせる度に聴くのでやや迷惑かも。さて、サロンと呼ぶ人もいるが、本日は生活学校の作業の日。矢崎黎子理事の杖の音がして、黄色いエプロン姿で情報を運んでくださった。孫の中2くんが介在しているのだが、コピーさせていただいた宮日記事は、見守り系ボランティア活動の様子が描かれている。しかし、われわれの視点は更にフォーカスして、その活動のリフレクションまで洞察することとなる。以下は、矢崎理事の発言内容。現物のコーピー紙仕立ての特注手書きの年賀状が過日、生徒さんから自宅に届けられ、同居の息子さんが代わりに受け取られ、手にした矢崎さんが一報して記事になった。ここまではネットワーカーとしての長年の杵柄のなせる技。しかし、ご自分も活動主体である婦人に取材すると、紙面の裏の現場での大変も聴取されたようでここからが味噌であるというのだ。当然若い中学生の訪問に喜ぶ出会いが、各戸続くほど現代地域社会は甘くはなく、ショッキングな反応を示され当惑する訪問もある訳である。例えば、やらせみたいなことを!と辛辣な反応なのである。投げられた言葉をキャッチするには経験が豊富とはいえない中学生。慰めるには「いろいろな老人もいるから」とがっかりしないでねと引き受けたという。更に、認知症の傾向が善意の活動から浮かび上がり、地域福祉のスタッフとしての気配りへの気の引き締めを自戒された。
そんな裏取材を矢崎理事はされて、協会へ伝えてくださったのだった。
このエピソードを今度は私流に咀嚼すれば、学校内でのいじめの構図を想像するのに、現場から遠い私には(ロケーション的には今も市立西中学校のグランドから昼休みの喧騒は届きはするが)妬みや嫉妬など気質的な欲望の焦燥感が波のように襲ってくるのを防ぎようが無い、無防備過ぎる、未経験などの要因が原因なのではと推測する。ご老人宅と教室の一つの席に通じ合うものがあって、同じ解決法も両方で探しうるものなのではないかと。受け売りになるが、今演劇脚本に集中している野海靖治さんが舞台で役者にこう言わせている「責任のとれる生き方を掴みたい」シチュエーションはカフェに集まる理解者たちとの交流で自立への心構えを掴まえた主人公のたどり着いた心境。禁句は「どこどこが甘えている」という社会からの声は洪水となって襲ってくるのであり、自立へのモチベーションは油断すると遠くへ吹き飛ばされそうになる。しかし、根拠の無い言葉に右往左往することはない。言った誰かはすぐに大衆の影に隠れ、雲隠れして逃げ延びるだけ逃げ、堂々と立っているわけではない。その影に怯えず、自分がどう責任と対峙していけるかを工夫することこそ生活基盤なのだ。微力さを自覚したら連帯して責任に近づけば良い。連帯責任などの単なる言葉も一過性の言葉が不自由なまま腐敗蔓延しているのでは?造語名人のニッポン人の悪い癖は改められなければならない。
話が膨らみすぎたが、お互い長年ボランティア活動をこのセンターで展開してきた婦人と還暦の私が親密に話ができるのも、孫さんと従兄弟の子が学び舎で遊んでいる仲間だという他愛もない日常である。お年玉を硬貨をポチ袋で上げはしたが、情報が風を起こし問題を知らされ、我々には考えさせられることでより良い経験知蓄積の素養となったわけである。