木曜日とボランティア
4 在宅障害者とボランティアによる「木曜教室」
昭和56年、宮崎県ボランティア協会が設立されてまもなく、障害者教室企画会議が協会内に作られた。在宅障害者の外出要求と創造性を高め、新たな友人関係を構築していき、ボランティアの養成もしていこうと、発足したばかりの宮崎県ボランティア協会の大きな事業の一つとして計画されていった。
この教室は奈良にある財団法人「たんぽ・・・」以下省略。
木曜日は、30年前のボランティア協会にとってはひときわ賑やかな日だった。のだ。
友人関係、つまりトモダチが在宅の障害者にとっては欠くべからざるモノだった。何より外へ出たいという望みを託されたボランティアだった。
今、現在はヘルパーをどう使役できるかが試される自立の時代となっている。ボランティアは暇をもらったようだ。
制度自体はなかなかやりくりが難しいと聴く。あなたは社長です!というデンマーク流生活にはなっていないという。遠慮や我慢賛美の風潮が引かなければ
いつまでたってもワガママな障害者の幻影がバリアとなってしまっている。
木曜日、編集会議は中止だったがフラリと現れた野海さん。同居が始まったメスカ事務局が置いてくれているバングラ紅茶をすすり、ヘルパーとの約束の時間まで街中を探検して帰途につく。もはや木曜教室の役目は終わった。しかし、風のように渡り歩く障害者たちのためにいつも事務所を開けておくのは、重要であることは間違いない。
そして、新たなボランティア始動のきっかけづくりのためにも出来る限り、事務所は開放しておくべきなのは言うまでもない。