April Clever
四月の初めに
長友眸先生が他界されたのを知らされたのは、老犬の引き取り手探しの輪からである。点字のエピソードに続くが手話通訳の世界も深遠である。全国大会開催の縁と元事務局長の伊東絹子さんが手話も点訳のスキルも堪能だった関係で出入りが多かった頃にさかのぼる話。当時は同じ部屋に、協会と活動センターが同居していて、さらに明るい社会づくり運動の机もあり寺松勇一さんの東北弁が明るく響いていたボランティアビューロー。初任の山中先生に続き県社協の活動センター部には管理職退職者が出てこられていた。学校教育界からである。アイデアの豊富さでイベントにも盛んに加わって下さっていた方々の中のお一人が長友眸先生だった。多分一匹残された愛犬と暮らすと同じ時期に愛娘さんがアートの世界から手話通訳の専門機関「全通研」でも活躍の場を持たれたようだ。大山さんと呼んだほう通りが良いのが美幸さんであるが、ボランティアから職能へと進化する人材の最古参かもしれぬ彼女が伝えた死と犬であった。
取り急ぎ、お悔やみに神宮西町内へと向かうのだった。これまた最古参わたぼうしの財部豊隆さんからも一報を受けていたが、このわたぼうし会と神宮西界隈は縁が深い。まず、月曜例会の余韻をそのまま運び閉店まで座席を占めるのが許されていたグルッぺ。平和台県知事公舎の真下にあたり、現コンビニ。溜まり場と化した福祉総合センターも閉館時間は厳格で、ガードマンさんに手を合わせても10時くらいの熱が最高潮の頃には乗り合いで初期のファミレスへ再集結したものだった。ご主人が航海中、子供も遊学中というご婦人が家に呼んでもくれたが、そこも神宮西の雲山家。当時は宮大の町であったから行ったことはないがカルテェラタンのような磁場だった。学生運動末期でもあり障害者権利運動の余波で施設を出て紅葉荘一人暮らしを始めた甲斐聖二の部屋は実に多彩な男衆の溜まり場であった。もちろん神宮西。
話が神宮西に集中し始めたが、長年そこで暮らされた長友眸先生の御霊前にご報告がある。先生がボランティアに気遣って下さっていたもう古い時代に少し感じが戻ってまいりましたよ。それは、教職、事務系退職者結成によるNPOメスカさんと事務所シェアが始まります。機器も共用でき、カラーコピーやシュレッダーなど教育現場のプロ集団ならではの様子なんです。そこへ、意を決して電動車椅子ごと野海編集委員が水曜にはヘルパー氏を従え当番にあたります。稲垣政安さんや木曜教室の松浦哲也さんたちを彷彿とされるんぢゃないですか。各地にセンター機能が充実し、住民ぐるみのまちづくりが進みます。ボランティア界も、また一つまた一つと持ち寄りで身の丈の解決を産んでいくことなります。老犬の寿命が一番気にかかることですね。しばし神宮上空から南の原町辺りも俯瞰していてください。ご冥福をお祈りいたします。4月の初めに。