ふれあいの旅とは?
28日(日曜日)の実行委お茶会と30日の第5回実行委員会を経、要綱がまとまる。
今回の呼び掛け文は「障がいのある人とない人が共に過ごす一日二日の旅です。普段バリアを感じて旅行に行けない人もサポートを受けることで楽しい旅行ができます。『障がいのちがい』を超えて、『幅広いせだい』の人と交流し、寝食を共にすることで、人とふれあう楽しさや優しさを感じられる充実した二日間になります。一緒に思い出を共有し、心に残るボランティア体験をしてみませんか?」
ここで、タイムスリップして、「昭和57年10月30日発行のボランティア情報No.23ふれあい」の一面を飾った記事に注目してみよう。
―ふれあいの旅―飫肥城を見てきました。(タイトル)秋晴れの10月16日、予定どおり自家用車5台に分乗して午後3時30分飫肥の旅館に到着、日南市社協、障害者福祉協会の幹部の人達の歓迎あいさつや、おみやげを頂いた後、夕食を早めにすませ、飫肥城祭りに参加しました。
飫肥城では段差が多いため、松葉杖の田中さんがちょっと苦しそう、村中田さんには見知らぬ人から車椅子を抱えてもらうなど、思いがけないことも起きましたが日南の人達の暖かさ優しさにもふれることができました。午後9時過ぎ旅館に帰りましたが話しは尽きず夜遅くまで焼酎と歌と話し合いが続き本当に楽しい夜でした。(障害者9名、VO、9名の18名参加)宮田記。
そして、昭和60年5月31日発行ふれあいNo.54の第2面についに『ひまわり号』を宮崎でも走らせようぜ!―障害者列車『ひまわり号』にあなたも乗ろう!!-の呼び掛けが踊る。汽車の旅っていいですよね。駅弁食べて、知らない人と友だちになって、現れては消えてゆく景色を窓ごしにながめて感傷に浸ったりして・・・で始まる名文は準備委員会を作るために奔走中と末尾に自宅の連絡先を紹介する永山昌彦作。
(続き)でもハンディを持つ人達はひとりで外出するのもなかなかできません。ましてや公共の乗物(汽車やバス等)を使って旅行するなんてことは、あなたたちには何でもない当たり前のことでも、彼らにはかなり困難を要します。”一度でいいから列車で旅がしたい”そう思っている人は多いのです。(以下、2年前に東京ではじまった旅行が九州にも広がっていること。ボランティア活動の低迷、住みやすい街づくりの理想を熱く訴えてある。)
それから遂に昭和61年1月31日発行のNo.62号に第1回ふれあいの旅の告知が載る。わたしたちは ふれあいを求めて旅をする弥生の飫肥に きみは 何をみつけるか
障害者とボランティアが列車を貸切り、歴史の都、日南市飫肥への旅行を企てました。主役は あ・な・た です。新しい自分を切り拓くチャンスです。どうぞ 振るってご参加ください!
その間ハンディをもつ人の呼称は、障がいのある人にゆるやかに定着し、ちがいを超えるという現実と向かい合う31回目の旅へとリングしてゆくのであった。