プロジェクト ヒストリー
3,000万人が飲む井戸水から、毒物の砒素が見つかった。
5万人を超える砒素中毒患者も出ている。
豊富な水に恵まれながら、安全な飲み水がないバングラデシュ。
なぜ、デルタ地帯の地下水に砒素が入るのか?
どうすれば安全な水を供給できるのか?
維持管理体制をどのように築けばいいのか?
それ以前に、砒素が何かを知らない人々に、砒素の危険を伝えることができるのだろうか…。
立ちはだかる“地下の不思議”と“地上の困難”。
〈いのちの水〉を求め、日本のNGOとJICAの連携プロジェクトが始動した。
SAIKI(佐伯印刷株式会社)の3月出版で、我らがKK羅漢こと川原一之さんの新著「いのちの水をバングラディシュに」が気になる。一先ず、アジア砒素ネットワークのニュースレターで近況を読んだ。”あの”記録作家のクッキングコーナーもお楽しみであって、バングラ生活を支えた自炊の知恵を直伝する企画の助手も募ってあったので、エントリーすっかとも考えた全体的にリフレッシュした?NGOの動きが伝わって来る。
岡山に戻った竹内周作さん(宮大生ボランティア&V365OB)がお礼参りに帰宮した折、鶴島のNPOハウス2階事務所に机を運び入れたばかりの川原さんを訪ねたのだったが、当時の理事長の上野登さんも鬼籍に入られ、横田漠さんに変わられたが一貫してダッカ、ジョソールそして宮崎と現地を中心に展開してこられた。NGOの基礎からボランティアの基本を学びなさいと我々をバングラに招き、砒素汚染のセンターの隣の人権と障がいのセンターバステェシェカから二人を日本に交換研修させるのにも骨を折っていただいた。そんな当初からのお付き合いも20年も経過すればヒストリーとして叡智が蓄積され、この宮崎の地を基地にしたNGOとして頼もしい限り。
直接お話が聴けたのは、ろ過法として自然流をと、毒をもって制するのではない微生物にまかせる方式を認知させようと奔走されているところで、相変わらずあったかい大人な方だった。心の中の燃える情熱が人の優しい暖かさに程よく変換されるには、しっかりとしたシールド・鎧を常に身につけられているからだ。ニュースレターのコーナーによればそんな身を削るような志を維持してきたのに役立ったレシピの第1弾は蒸し米粉菓子だったようだ。
早大、朝日とジャーナリズムの宇宙を飛行された若き筆太郎が、鉱害被害者の闇に舞い降り、肩書きを脱ぎ捨て徒党を組んで明かりを灯し、我々の拠点ほうれん荘にも寄り添って下さり半生の総てを懸けたプロジェクト『いのちの水』。
我々に更に「生きる」価値のことを伝えてくださる。