岡上マチ子さんの継続性ご健在
坂本智子さんも定年、西村さんは急に亡くなられるし、貴殿にこそ24年のホームヘルプ活動研究の培ってきたビジョンを現在進行形の介護保険分野に活かす証人になってもらいますわよ!
ご年齢を84歳とカミングアウトされ、ご自身も介護保険サービスを払いながら受けながらの真っ最中にもかかわらず相互扶助性の強いホームヘルプの有り様にこだわり続けておられるのは直ぐに察しがついた。
岡上さんのテーマは一貫して「老年を考える」であり、呆けも高齢化もいっしょくたの頃から近未来を想定したボランティア・当事者自身の運営に寄る助け合いを提言してこられた。更にお話では、米田睦男氏の理解、全国的に展開した堀田力さんのボランティアキップに及び、そのいずれもが宮崎では実現しなかった反省に立っておられる。そして、目前にある宮崎大学が宮崎市となった田野病院を運営するに当たり、満を持した提言をしたいので、共に動こうではないかと声を掛けて下さり、握手まで交わした。
しかし、何で貴殿がここにいるのか?
そう、個人会員に登録はしているがNPOみやざきの市民活動センター(オルブライト3F)にはご無沙汰過ぎていた。しかし、センターのボランティアを長く続けているふれあいの旅の仲間、吉野由夏さんの水曜日勤務の様子をと訪ねたのだった。岡上さんとはこんな風に、呼び止められて中身の濃い議論を立ち話でということが幾度となくあった。そう24年前。ボランティアがホームヘルプに活躍するのは、あくまでも自立生活者とのともだち関係の範囲であったため、ヘルパー的動きを活動メニューにすることはなく、程なくNPO法人として特化したサービス業が元メンバーからも立ち上がり、そこでは仕事であり、ボランティア性は薄まって行った。情報の集約最大組織である社協も率先した事業者であり、ボランティアのホームヘルプ組織化は成らなかった。ボランティアセンターとしては近年シルバーボランティアを事業所に派遣するコーディネートを開始し、ここのところは、キップ構想に近い。
しかし、岡上マチ子さんの構想は、ご本人がまだ現役の頃からの24年間、心血を注いできた市民が有機的にボランティアをして助け合うネットが広がり若い人へと繋がり、安心して手軽にヘルパー制度を使える無償性が基盤となる方式であった。そして構想段階から上意下達(じょういかたつ)の介護保険の出現には太刀打ち出来ずの様相となった。我々も自身を含めた介護社会への関心は高まらなかった。そのことを半分は恨んでいるのよとおっしゃるが、今度の宮崎大学と田野病院の新しい関係には、彼女なりのゴールがはっきりと見えているかのように、微笑みを絶やさずに、ねっ!一緒に提言しましょう。やりかけたリーダーの責任取りなさいよっ。と念を押された。
有機的な、無償性や自発性を担保にした社会が24年前のみんなが目論んだ社会だった。わたしは、暑さで干上がった喉から、なるべくはっきりと「はい」と答えようとしたが、かすれかすれに安心感を抱かせるように答えた。しかし、何で貴殿がここに?とまたまたまた、不思議に首をかしげられた。
あの頃は、パワーに押されっぱなしで、84歳と60歳の再会の今ならゆっくりと受け止められますのでと、本心も伝え立ち話は終わった。お目当ての由夏さんとの井戸端会議は成らなかったが、活動センターの印刷室やミーティング室のにぎわいの中に、化石のような二人がいたことも普通に見え、ボランティアの名前は引っ込んでも宮崎のやっちみろかい精神は息づいている。有償性の影には、ちゃんと助け合いと志は埋没してはいないあの頃と同じ割合で潜在していると見た。数を増やすことよりも継続性。継続性があれば、次の芽立ちを眺め愛でることができるのである。
ここに来れば、放置されたままだが、誰ともなく種を撒いた花が面白く咲く市民花壇を見る事ができる。そんな誇らしい気持ちで市民プラザを後にした。