惜夏のイベント
わたぼうしもまつり宮崎、24時間テレビも終わる。協会事務所の月曜日。ひたすら切手切りをして下さる働く婦人ボランティアと同居のみやざき教育支援協への勤務で馴染みの城戸松豪さんがそれぞれの手仕事を。そんな県ボラ雰囲気に自然と人が寄るのか?先週末の有価物寄贈者ノートには懐かしき伊東絹子さんの
牛乳パック持ち込みのサインも。4代目事務局長を務められNPO法人化以前20年の後半を看板婦人として切り盛りしていただいた。メインは情報誌ふれあいの発行と経理でコンスタントな毎月発行の影で、原稿集めに精を出していただいた。永山昌彦マッチ編集長時代には美智子奥さんが原稿を運ぶのをにこやかに受け取って印刷機にかける様子と言うほのぼの感があった。
ふれあいの使命は不肖このWEBホームページにとって変わったが、ボランティア活動に有益なレアな情報と会員からの発信であることは永久不滅である。そのため編集者にはあらゆるネットワークに通じる網の目を拡げておくことが必須条件である。そして、この事務所自体が情報集積の有機体の様であることが基本である。正しい情報や声なき声に気づき、知識として噛み砕こうとすれば人は動かざるを得ない。そんな湧きあがる内的情報整理に一歩踏み出す時、その行動に必要な羅針盤たらんと33年以上が過ぎるSINCE1981.
以下ウィキぺディア「1982年には、「国際障害者年」の成果をもとに検討されてきた「障害者に関する世界行動計画」が総会で決議。 この計画の実施にあたって1983-92年までを「国連・障害者の十年」と宣言し、各国が計画的な課題解決に取り組むこととなった。
1992年、「国連・障害者の十年(1983-1992)」に続く取組として、アジア太平洋地域における障害者への認識を高め、域内障害者施策の質の向上を目指すために、国連の地域委員会の一つである国連アジア太平洋社会経済委員会(UNESCAP)において、「アジア太平洋障害者の十年(1993-2002)」が採択された。
現在、「アジア太平洋障害者の十年」は2002年5月の国連ESCAP総会で2012年までの延長が決定され、実施されている。1993年から2002年までを第1次、2003年から2012年までを第二次と分けて呼んでいる。
話が台風並みに吹き飛びちぎれ始めたので、本日の情報は2題。9月初めの好イベント。
野良音
野良音
29万の雫
29万の雫
ともにボランタリーな要素満載だが、困難さに軽やかに向かおうというメッセージを受け取りたい。