(紅い車イスの)真夏のサンタ登場
1963年9月5日生誕の飫肥の若殿こと、岩切秀樹さんを囲んで県ボラ事務所では、俄かにハッピバースデーが響く。この機を逃すなと、思い立ち家を飛び出した車椅子の男子。初対面でもFACEBOOKでは顔見知りの仲間の数は9人。特にふれあいのつばさ仲間の杉田由利子さんはお孫さんに押させての登場。協会への寄付の品も持参していただいた。
ネットワークのきっかけはボランティアイベントだったかもしれないが、それぞれ絆は大切にされているのが、裏技でとっておきのオフ会が成立してしまった。
ここでもサンタはオーガナイザーのとして秘めた技量を駆使した。(下部へつづく)
閑話休題。
とても、急遽発展を始めた居場所の一部始終を記録することはかなわず、飽き始めた児童、小児を交通公園に放ってあげようと席を立った私には、唯一の任務事務局日誌を付けることが課せられているので、ここに備忘録として残しておこう。
平成27年9月5日(土)晴れのち曇り 11:00〜15:30 記録者 永山倫太郎
来訪者と用件 甲斐 池上純啓(よしひろ)松子 小辻陽子 岩切秀樹 甲斐祐輔 杉田由利子 お孫さん以上は、FACEBOOK等により日南飫肥から来所した車椅子の元気者に会いに。臨時にふれあいの旅交流会の様相となる。 メスカ来客
TEL/FAX 郵便物:無し。
メールチェック:1通 生駒新一郎さんからメスカWAM事業のメーリングリストで高鍋美術館で開催の県社会福祉士会児湯支部主催の子供の貧困講演会とヂスカッション行事(宮日・高見公子論説委員、岩切県議他)の情報共有。
有価物回収等:杉田さん使い損じハガキ、テレカ。活動支援金、10円募金の寄付。
連絡事項:飫肥せんべいとカルミンは土産でいただきました。センター、研修館とも九州ろうあ者大会の研修のため各県より手話通訳関係者が続々と参集している中。満平一夫全通研氏は走り、公園では西都からの子どもが遊具を走る。活気溢れる1日となった。通訳関係者は観光ホテルでの懇親会、県ボラ有志は居酒屋へと散会された模様。会員が集まる事務所の有効性が発揮された。
(続き)古い会員のヒデキは、大切な忘れ物を届けてくれた。それは、みづよ高原、岡元京子、支える徳富さんらの宮崎のボランティアシーン黎明期を牽引したメンバーの健気な消息だった。iPhoneから提供してくれたこの写真は深い意味を持つ。太郎窯を立ち上げた初期のみづよ高原スタッフのアイデアカップ、見ての通りだ。野海さん父発明の竹ホルダーに並ぶ愛のこもった逸品。何のために我々はボランティア衝動を動くのかを初めに代弁してくださったのが、北郷の山中に出現した桃源郷みづよ高原であった。報道を通じ県民は気付かされた。そして90歳の今も母方として、自立する女性として、同伴者として三人は「みづよ高原の夢」共生生活を続けていらっしゃる。
チャレンジャーはメッセンジャーである。家庭内自立の生活を確立しているヒデキは、日南での交流の核となって、スマホ活用を通じて仲間づくりや、夢実現のネットワークを広げている。ヒデキ曰く、パジャマ姿のツイッター、タキシードのFACEBOOKとの通念を教えてくれた。日南市内でのフィリピン出身のヘルパーさんの動きの楽しさも生き生きと伝え刺激をもらった。
あまりにも長文となったが、この日。様々なイベントが同時進行していたが、それぞれ次に向け動き出すべき日としてあった。特に協会事務所としてはその特性を活かし、継続性や創造性を高めるミッションの確かさを認じた。