求む!ヴォランティア
需給調整という仕事がボランティア運営組織の本命。1980年浪人プラス留年を計3年して遂に帰郷した私は、早速わたぼうしコンサート入賞の初陣を切らんとしている同年の従兄弟を見届けようと舞台袖に馳せた。都会からの甘美な官能な荷も吹っ飛ばすほどの魅力の数々が生まれ育った地には芽吹き育っていて、コンサートを起点に確認と収集をはじめた。それは、まぎれもなく地の文化の数々で、無償で同行してくれる仲間も得た。アート・ミュージックという必須アイテムも点在する喫茶店を媒介に発信されて、まだ街そのものが7年前の高校の頃のようにアンプとなって音を出していた。大学の意義が末期ながらも息づいていたのも要因。そして、新たな恋にも当然落ちた。相手は都合3人いた。そうこうする間に長男長女次男次女と順序良く増え一人っ子の私の世界は帰郷後の十年でほぼ固まった。
私は、何かしたい気持ちがやむにやまれぬ青春を需給調整してもらい人生の具の部分をボランティア活動で謳歌した。そして、それを包む後半バンズ期に入っている。仲間たちと共にも。そして、載せたバンズで完成させ後世へと差し出すのである。私とボランティア活動味のバーガーを。
その最後のバンズ期は真の自立へ挑む、それに尽きる。日本国は大国との協働を選択するが、ボランティアシーンで培ってきたものは当事者自立以外は選ばない。自分の責任を持つことが潔いのである。そんな強い意志を堅持し残った会員さんへの需給調整が公私共々佳境に入ってきた。
蓋を空けてみると、やっぱり地域はつながってなかった、かもしれないが蓋を取り除いてみると、光があたる全貌にはつながりの芽が吹いている。そんなけっしてあきらめない世界はなくならない。