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ねこ展

2016年2月3日 ねこ展 はコメントを受け付けていません

MYねこ展
 会員の動向が協会事務所に入る。入院したと日南の病院個室からからFACETIMEで報告してくれたのは岩切秀樹さん。病院側も重度の障がい者の入院となると過干渉になりすぎる?対応を経験済みの野海さんも彼の大変さが推察できるようで苦笑いを見せ声を掛けた。年賀状では協会監事の婦人から手術とリハビリで仕事に差し支えそうとご容赦をとの丁寧な文面。婦人ボランティアの草分けリーダーのお一人も懸命な日々のご様子。お二人とも活動でつちかわれた対人関係スキルを大いに発揮されんことを願うばかり。昨年無事退院した納宏子さんは、私生活面での公的ケアの範囲を十分活かし在宅での障がいの老後をくみ上げている。みな自分が編み上げてきた絆をたぐりよせるように高齢期への道をつくっていく。絆は急坂を登るとき引き上げる力となる。そして他者との係わり無くしては絆は編みあがらない。
閑話休題。自宅は猫屋敷と自虐するほどのあり様だが、その姿に癒され、生きて行く喜怒哀楽感のシェアは犬のエネルギシュさ(我が猫屋敷のメス犬の場合)とは対照的でわがまま三昧な分ねこの思考、猫世界の暗黙の掟など謎が好奇心をたきつけるものではないだろうか。今年は障がい者に関する制度上、まず意識改革がクローズアップされるだろう。
紙面で再び連載されはじめた薬物依存者の更生の主たる舞台のDARCも障がい者施設としてやりくりする。今夜のテレビMRTわけもんGTにはダウン症ヘルパー湯川さんが登場するようだ。たしかに障がいを前提に社会参加の窓にはシャッターが降ろされた状態といっても過言ではない。それは高齢化自体が問題化されるのと同じで、あらゆる場面に社会のほうが対応不全を起こしている状況は、想像力と創出力不足で改革が進まなかった結果という段階なのだ。
 そこに、彗星のように新障がい者の登場がみられる。高度な有知識者である自閉傾向の特徴をもつ彼、彼女ら(もちろん難病者へのホスピタリティそしてLGBTと認知されている人達)。それぞれ個性を発揮することで困りながらも社会を活性化してくれている。障がい者が迷惑なんてつぶやきは既にぶっ飛んだ世界2016年もはや節分なのである。
スピード感を発揮して差別禁止法と政策は打たれるが、理解が伴わない限り、個人の危機にとどまらず有機的な補完関係の構築を断ちかねない。ボランティアとて理解への精進を怠れない。そしてますます共生の場の広がりに手だてをしていかなければならない。
 では、発達障害としてくくられる外見上見極めにくい、ポイント的な有能性を秘めたひとたちと共に社会を改良していく方法へと活動のテーマをシフトしなければならない。障がいは医学的見地でラベリングされる現状に、いや同じなんだという呼びかけは声を上げ続けなければ!これまでのように。もし何らかの障がいが見えていてもイクオール。
自身が一番周りに合わせにくく困っている本人から、例えれば「私は猫みたいなところを強く持つ」というカミングアウトを聴きとる時。頼りがいのある対応をとらなければならない。ケースバイケースでのやり方を一緒になって考えてあげなければならない。
 そしてまた、障がいのくくりとは重なるがマイナー認知のままのひきこもりという選択者の存在がケースバイケースの場で、スキルを持つボランティアとして機能している自助グループ層の存在を重視する必要性も決して忘れてはならない。否定や逸脱や競争を止しにして、自らを肯定することで突き抜けて生きる覚醒を得た者らにボランティアのフォースは確かに宿っている。理解の方法の話にもどるが、カンパーバッチが演じたウィキリークス、チューリングの二役は新しい障がいのある人々を主人公として描いた映画であった。歴史的な統合失調症のある人々への対応も含め、我々が正規の発達と断定している領域以外の、隣人が観ているDREAMの中に解決策は隠れていそうなことは大宇宙のことからすれば案外と自明の理である。

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