去川でシンポジウム
2016年3月16日
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午後の部後半は、車座に展開した。廃小学校の2階音楽室、一階のカフェ部と学びの環境をフルに活かしたシンポジウムとなった。半年余、まずは指導者側がしっかり現状を把握すべく、研修が繰り返されたが、その講師連も会場には顔を揃えた。あの青木さん。宮崎工業高定時制生徒を珈琲でもてなした伝説の先生。こもってよしのウッチさんは奥さん共々。記録には写真家の小林順一さんがカメラを向けるという豪華版。これはオーディエンスに見つけた方々で、登壇者や積極的に井戸端会議に加わる聴衆もそれぞれの現場の時の人。よく咲いたものだ、長屋の花見は佳境に入る。
NPOの商談会はあるが、個人の立場での交流の『場』は、よくぞ発案されたと、集客企画のさとわ企画とともに喜び合いたい。情報を流して!というニーズに応える広告代理店的仕事も個人からのネットワークが質の高い成功事例を作った。
皮肉に聞こえるだろう。行政が当てにしている事業展開ではここまでの広がりは実現できない。
とはいえ、事業を受諾するためには個人、小NPO単独では無理がある。今回のNPO2社、有限会社、一般社団の四社によるコラボだからこそ自由人に白羽の矢を当て、各人がそれに期待以上に実力を発揮してくれた。今事業の縮図がシンポジウムに凝縮され、命題に答えを出せた。それぞれ持ち帰った品は違うだろうが。
さて、四社の事務局と隣り合わせの県ボラ協ということで最後の最後、挨拶をという役割をボスからは言い渡された。だが、遅刻ぢゃなくて早退するはめになり、皆さんへの共感感謝の言葉を言うことは無かった。原稿こそ準備してはいなかったが、午後の井戸端車座の展開を音楽室準備室から窺っているうちに、気分は高揚するのであった。そして数個のキーワードも浮かんできた。「コミュニティカフェ」「冒険遊び場」。
特に、宇宙塵ぴょこんは名挑発役で、DJのように直感で、意見をさらっていく。ボスの大家さんもジェンダー一手に引き受けて婦人層の発言の集中の流れでも男性の本音で合いの手を入れている。
という具合で、みんな覚醒のレベルに到達しはじめたなっ!という後半に電話で綾に呼び戻され、遂に挨拶はドタキャンしてしまった。
もっと、親子食堂のことや、教師の支援、親の支援に耳を傾けたかった。大家が言及した遊べる場所ができて、そこに情報が。などなど。けっして消化不良にはならないだろう、地産地消の事例のぶつかり合いは、大成功に終わった。
地の利も、都城からも至近距離ということでGOOD。みんなどこかでつながっている。市役所マンの後席に子育てシングルマザーがいたりという、よくぞ現場の声が発信されたものだ。廊下からは学遊館の生徒たちがお気に入りの学校を遊び場ににして嬌声を揚げているが、大人たちはなお強く発している。そんな一日は、今後の宮崎の学びと遊びシーンを牽引していくに違いない。ということで、出来なかった挨拶は「フォースの覚醒」をみなさんはされたのです。カムサハムニダ。