メンター
2016年3月23日
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水曜日のボランティア協会の事務所の様子は、80年代にタイムスリップしたかのような、つまりふれあいの旅以前の看板事業「木曜教室」が復活したような様相。あれもこれも27年度の当初からみやざき教育支援協議会が押掛け女房のように寄り添って居てくれるからであるが、正確には事務所シェアで2npoが協働している365日。24時間な訳で協会の元スタッフも出戻りで企画を担当したりとノウハウの共用と斬新な実験が繰り広げられ来た。そして、事務所を教室に開放という場が目の前に展開されていてひじょうに良い空気が流れている。既製の学校で学ぶには本人が困っている現状に教育分野では多様な学びの場の選択が拡げられ、メスカが生徒を預かり支援員として辻会長のゼミ生がマンツーウーマンでただ、見ていてくれている。その様子を協会の席で当番の私がレポートしているという訳。
80年代は障がい者を外へ迎え入れようという運動にサポーターとしてボランティアがフル回転していた。ボランティア協会には親や本人、先生らが結集して松形県政の新ひむかづくり運動をおおいに活用した、ビュウロウ運営をまかされ早期退職者であった宮田三男事務局長のデザインが冴え渡りわたぼうしコンサートの乗りで昼夜賑わった。
日本全体もバブルに押され、阪神淡路震災、オウム騒動、昭和天皇崩御のパノラマのような時を経て、国全体がシャッター街のような錆びれ感に満ちたまま、それでも学びを必要としている子ども・若者への支援が第一に据えられ(そう懇願する)かって障がい者を招いた教室が復活しているというので目出度い。
さて、メンターという言葉は興味深い。宮崎でも男女共同 分野で広められているようだ。キャリアを上げるためには引き上げてくれる先輩の存在が有効であるとのこと。思えば、宮田の父っつあんに諭されながら試行錯誤で年上のボランティアたちに引き上げていただいた私がいた。アラサーだった。知識は学びで獲得できるが、体験と指導でしか身に付かない、いわゆる身体で覚えるには見張り役がいて欲しい。こき使われると嘆きつつも、姿勢が前向くことを識る。
どんぐりの背比べが学校ならば、外の教室は井の中の蛙を世界へと導く。
本日は曇天成り、雲行きが心配だ。それでも午後の部には野海さんがやって来る。5月の上京に関してFAXをゆきわりそうに送付したいとのメールを受け付けている。彼はふれあいの旅の実行委員長をかってでてくれている。初代昌彦さんから10数人目くらいだろうか。先行く仲間という合言葉は宮崎DARCの用語である。
先人になることはリスクがあるはずだが、後に続くものに勇気をあたえることで意義は数倍にも拡大する。そんなプロセスは自身の中でこそ葛藤としてある。
そんな複雑系を抱える人間には、やはりメンターがいてくれることが必須なのである。