一所懸命⇨多所懸命
剣ヶ峰の障害者の主張我々は、奈良の播磨靖夫に瞠目させられ続けた。JYVA日本青年奉仕協会が原宿の編集室から出していたグラスルーツの編集委員。現在はたんぽぽの家の完成期に銀髪長老として最期のアート経済の締めに当たられている。その元毎日記者と脱読売記者の興梠寛が巻末の編集後記で何やらバトルしている、その行間を読み取ることがボランティア通の秘そかな愉しみだったりした。現昭和女子大教授としてアレックディクソン賞でボランティア学習分野を牽引し続ける世田谷ボランティア協会長でもある同郷の先輩がくだんの情報誌の「人国記」で手始めに郷里のシーンを丁寧に取材してくれたという恩義もあり、その在宮崎県の市民活動の被写体の一人元朝日記者が川原一之というところで、全国どこよりも恵まれたボランティア神話のニッポンのひなたなのでR。
今朝もまた、最古のほうからはなしているなあ。そうループしているのだ現実は。世界も。めぐりめぐり。
さて、なんとかイベントの神様のお陰で十分ヒートアップして大団円というところで、高揚した参加者の一人がやや暴走の兆し。実はこれで良いのだが、障害者の主張を企んだのは山之内俊夫である。映画命のナイスガイは、わたしの変幻自在の魔球の投げかけに必ず綺麗に打ち返す達人でもある。朝のスタッフ集合時に今日は映画でいうとどんな作法で展開すれば良いのかの問いに(もちろんジョークだが)「ローアングルの小津安二郎でやって」と難なくアドバイスできるのであった。まあ、そんなの知らないが。
さて、「障害者の主張」は権利問題の専門家集団であるYAH!DOの大本営内で練られた一過性のイベントに終わらせない肝の部位であるのは承知の助。シナリオ上は聴覚障害者の堀田さんを先ず出して、後は誰かでという安請け合いの不安なままだった。しかし「障害者の主張」の神様は前日に一手を施された。前日はポカポカ陽気でわたしは久し振りに三人の孫と遊ぶ時間の中に緊張を麻痺させていた。昌彦さんから電話でアラームが鳴った。ミツヒラさんから現場がフリーズ状態の対処を求めるものらしい。手話通訳業務の奥の深さに普通の感覚は無頓着なのが現状なのだが、暗殺教室から戻った孫らも同行させてNHK横の事務所に直行した。
そこは、賢治の童話の猫の事務所を思わせる。ここでしか解決できない宮崎県の聾唖者センターは、一階の盲のセンターと三階のオレオレ詐欺対処消費者センターにサンドイッチ状態で問題の過重にスタッフのやりがいは摩耗した状態の空気があった。これはわたしの公共機関分析で当てずっぽなのだが、現場ではそう感じる場所は潜在している。ように見える。さて、そこのスタッフ堀田さんが、前日に迫った「障害者の主張」にパニック状態でミツヒラのほうは手話通訳原稿シナリオが火事場状態で世話しかねる様子なのもわかった。孫を連れていたのが雰囲気を刷新したのか、堀田さんはどうまとめれば良いのかのヒントを無茶苦茶な手話でもディレクター役のわたしから汲み取るやはり天才であって、オバマの演説並みの渾身のスピーチを本番でかましてくれた!!!!!
さて、「障害者の主張」をどなたかなさらないですか?と峰不二子のワダショウが募ると、前列の白杖、黄色いタスキの盲のトップから声が出はじめた。これ幸いと壇上に招くと、彼は演説にはまってしまった。誰かヒットラーの演説を止めなければこの平和を愛する集団は崩壊してしまう刻々が流れ出した。最期を飾る上田賢次バンドなんかは朝一で今日は唄えない、体調がなどとかましてきたので堀田さんに続きこころの整体を遠隔ででっち上げたのだが、やる気満々で控えているというのに、演説はそろそろ単なる自慢話化から抜けられない状態となった。わたしは冷酷にも彼の耳元で、彼も内心は収拾がつかない飛び入りだったので困っているのだが、盲である利点を生かしそっと堂々と近づき耳元でそろそろ締めてとささやくことができた。その後は、ヤッドの門川一大と貴信子と父が圧倒的なフォローを筋ジストロフィの進行にロックで立ち向かう上田賢次を最高の超満員のオーディエンスで歌わせることができたのだった。もちろん安全圏内でヒヤリとさせてくれた高鍋の盲の会長さんが実は最大の立役者となってくれたのかもしれない。ご協力ありがとうございました。(本文敬称略)今朝もちっとも振り返りが進まなかった。総括は、同時進行のMESC倶楽部(塾)の報告書にもからみ、花まるにっぽん座太郎と花子の意義を深めたい。では、水曜日の当番の時に。忙しい人にものは頼めというのがテーマの解題なのでR。