新・社会が新世界
事務所では、水曜日の午後、BGMとして交響曲第9番がPCから漏れ聴こえる。壮大な賛歌はいろんな人たちが築き上げた新帝国の黎明を交響曲として奏でる。丁度、隣接の中学校のお隣である小学校が国旗掲揚のリハーサルに国歌を流しているのがシンクロしているかのように重奏する。運動会の熱気が残暑に溶け込んでいく9月、長月。旧暦葉月。野海さんは日本福祉大学の学生デビュウを卒業生同窓会の夏の宴に参加したことで「現役学生よ頑張れ!」とエールを受け、このセンター勤務のOBにも顔を憶えられ気持ちよく出勤してきた。学歴とか歴社会の一連の壁は自身の向学心という好奇心の進化で難なく越えられたのだ。繫いでくれたるんるんこと西田守氏の校風への自負は当たって本当に良かった。昔の話で、ボランティアは歴となりうるかという特集が「グラスルーツ誌」で組まれたこともあった。どうしても個のままでは社会へ説得力を持てない世界は未来へと続くのか?どの場面もリーダー次第であるのも人間界の特徴ではある。ボランティア活動を体験知としてカウントするのは当然で良いことで、仕事上のキャリアを積み上げ評価を上げるのと何ら変わらない。特にこれといったマニュアルが規定されにくい活動現場、多彩さが芽生える場面だということで人間の原野で助け合いのプロセスが創造されている。
ところで、ボランティアシーンに新・社会づくりの試行錯誤が目立つ、秋もたけなわ。フライヤーをセンター管理室事務所前の自由に取れるコーナーでピックアップしてみよう。
江平小運動会の予行演習は佳境に入り、掛け声は迫力を持っている。でも隊列は勝負の瞬間だけで、7歳から12歳の幼少児童は素の自分に戻って、たわいのなさで一息つくことだろう。そう人生は長い流れ。からだを強く反応させる時と、こころをゆるめる時が交互に人を育てる。そして育てられなくなった大人の時間では、自分で選択するのだ。いろんなメニュが社会にあって、新しい視点に気づいたボランタリーな人々がいろいろなことに挑戦を続けています。昔の出来事を克明に語れる古老もそんな気風に誘われてやって来ます。
まだ、発見されていないあなたの想いが、誰かに伝わり、荒削りながらも形が整い、大切な構成要因となるのではないかと、新・社会はニューカマーを待ち続けているのでしょう。