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ボラメシ

2016年9月15日 ボラメシ はコメントを受け付けていません

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one more cup of coffee for the road
ボブディランの曲を意識しながら、事務所に通う道すがら立ち寄る店が出来た。若者が手造りした店内は落ち着いたトーンでコーヒー数種とソフトドリンクを出すのみのカフェ。丁寧なもてなしができる店長はきっとリピーターを掴むだろう。だが、2回目となる本日はまだ開店してなく2階への階段を挟んだサンドイッチ店だけですませたものだが。この古くからの営業のサンドイッチ店との相性もよいので通りも賑わうことを願う。さらにその昔には2階は画廊喫茶モンマルトルが営業していて、宮大移転前の文教ゾーンに幾多のミヤメシを任ずる食堂もあれば、安アパート群が点在していた。今では珍しかった煙草店が貸し店舗になったし、カフェの前はイタリアンバールだったが長続きはしなかった。この時世にふれあいを意図した商売を発展させるには多大な勇気と商魂がフランチャイズ以上に求められる。また、利用者側に好奇心ともっと望ましい社会への消費行動も。

さて、いずれもこの清水町ルートは、最古参の自立人「財部豊隆」生活圏。初対面の頃から波長が合い、誕生日がシンクロしていることもあり射手座の異端者同士学びあい、業界では五月蠅がられて来た。そもそも友人というのは元祖SNSみたいなもの。行動様式にオリジナリティを求める本能は利器を識っている。生誕時に脳波的にWIFIが与えられ、より精度を高めながら一定の関係性を持続する自助努力の上で生きるという問題解決の時間を集団世界で過ごす。この「豊隆」ちゃん現象と言って良い交遊は「こだわり」の強さの気質派閥に分類される同士だったと35年を振り返ることが出来、since1981の県ボランティア協会のサロン口頭ブロガーの一人として記憶される。何しろ青春期には、「壊れたラジオ人間」とその驚異的情報蓄積力を発揮し、それに使命感を覚え過ごしていたのだから。まあ、壊れたとは、失礼で、私が選別ネーミングで個性をオートクチュールしたまでのことで愛称で通っていたものだが。命名は、声を張り上げる癖と数台のラジオを並べて同時に聴く異能者。センター近所に居住があるのは元会員の阿万さんもで路地の自宅前でばったり会う。豊隆ちゃん同様車を足に使うタイプだが、今は車椅子を積んでの移動中だった。甥の成長を支える日常らしく、その子も日章学園に通う高校生と誇らしげだった。

この、中心地から2,3キロ圏内の立地という宮崎県福祉総合センター界隈はますますボランティアを育てる地域としての特質を伸ばせるはず。そして歴史が宮崎大学にまつわるミヤメシ層として環境をきっと維持しているはず。この縦横斜めの道路、路地からまた、活性化の花が咲きそうだ。付け加えると、現ダルク事務所通りには、とみ照とアトリエの2軒が並び、大盛定食やコーヒーセットを食しながら当時のボランティアは夢を増産し続け、その時々の問題にアタックしていた。変わったところでは、現集合住宅の前は何と、ビリヤード場も営業していた。家主がテナントとして又、営業として若者へのサービスがまだ盛んだったのだ。国道沿いや角地には喫茶店も数多かった。このミヤメシエリア外でも。そして今を見渡すと病院と整骨院、携帯店と健康在らざる業種が経済を牽引している。酒屋からコンビニへの変遷。メインストリートに大型ビジョンがネットとリンクして画面を知らせる。1984の小説の世界は進行中。元祖から特有のボランティア意識がコミュニケーション不全の時代にあがきを見せている。「してしまえ!」という啓示は曲解されやすくなっている。その気持ちさえあれば良いが答えで、その気になるかならないかが剣ケ峰。

文脈が混乱し始めたので、お昼に飲み損ねたコーヒーを新しいカフェに飲みに行こうか。いや、帰り道にしよう。

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