オーガナイザーの南へ
キャンプインより四日早く、日南線をゆく。是非動いてもらうための使者二人は、訪問入浴上がりの岩切秀樹邸へ。時間のロス復旧と列車の趣向見聞もかね噂の高い特別急行に乗車。自由席に必然的に入る電動車椅子は新幹線同様。何と32年のタイムスリップを還暦越えたトータル124歳のふたりが感じた、め ま い。降車する際、前輪の幅と主たる後輪の幅の目測を誤った女性駅長さんをひやりとさせた。しかし、退場はぬかりなく駐車場口へ誘導された。別の一件で改札口を抜けられなかった事例があったようだ。だが、イマセン社製の電動の車幅は再入場時には抜けられた。もちろん当事者側からの合理的配慮で空気が乱れることは無かった。
オーガナイザー役へと目論む岩切秀樹さんはすでにジパングの名乗りを揚げ、障がいがあっても情報ネットワークの網の目こそがセーフティーネットであることを実行に移している。家族一丸となって。
もう、2週と迫った2/15「ファシリテーター養成講座受講」経費はずいぶんと掛かるタクシー移動を、公共交通を利用してかつあらゆる相乗効果を体現すべく、介護ヘルプ、移動ヘルプそしてもしもの隣人の手助けを得る千手観音のような展開の主役を果たしてもらう。支援法の枠を使い、適度に隣人の手を借りる生活がもちろん大理想。そのためには個として個と向き合わなければ始まらない。
その荒療治にも通じるファシリテーター養成は家を出るまでの計画立案から始まる。自分ですべてを決める覚悟さえあれば、怯えはいつしか去ってゆく。計画性と根性があればどれくらいの幸福感に達しうるか、48歳までに到達し流星のごとく去ったオーガナイザーは、今回の飫肥より二山川越えた南郷に出現した。日南大学を名乗った。我々が最初に実験を開始した32年前からその存在に注目して来た岩切秀樹氏はジパングを名乗り始めた。そして、具体的な「ショートステイから見えてくる施設あるいは病院入所と言う運命的単一選択肢への抗う」声も集める。そして、それは作り上げれれば最高の人生である目標も。そうなってくるとまったく障がい有無の問題ではないことも。
あらゆる手立てを駆使するすべを持っていたオーガナイザーから学び取り、やがては自身が後継のオーガナイザーへと。
我々は、たまには宣言してみないと頭はぼやけるばかり。こころをしびれさせる計画をたてることとだけヒントを残してくれている。
ただ、次々と効果的訓練はかかせない。当協会も3月12日と3月18日には貧困シンポとふれあいアート報告会へと細やかにフォローしていく。