板子乗降臨(2/15未掲載分)
今夜は観劇ということで、食事は帰宅後という野海さん。和田祥吾さんは帰宅してふれあいの旅の報告書編集ということで早めの退散。何かしら穏やかなオーラの女性が古切手を持参されていたが何やら見覚えのあるキャラクターの印刷の布カバンだった。記帳されて去られたが、アッと気づいた。西米良村のキャラクターだったのだ遠路社協関係の出張だったのだろう。野海さんは西米良、諸塚、椎葉には行ってないと口を挟む。同様に城戸さんも。私は2002年に椎葉神楽の洗礼を受けて以来、グリーンツーリズムの研修にも参加して諸塚へも、西米良の温泉を早朝に地元のボランティアが清掃するのが続いていることなど知ったかぶり。特に、2004年には、当時のJYVA365現役が集結して派遣先の諸塚村で年越しというイベントに竹内周作さんと藤元袈裟義さん(故人)と参加させてもらった記憶。何しろ第4回ふれあいの旅が米良の里という稀有な行先だったという逸話は、当時の事務局長野戸哲哉さん(故人)がかって国民保険の啓発に回った懐かしい地に回帰したいというアイデアが可能となった。原田恒夫さん(故人)は教え子から調達した運動会仕様の花火器具を持参して、名高い山並みの大轟音の花火を一発だけ上げて気勢を上げた。
さて、旅も近い。うきは市社会福祉協議会から丁寧な確認とお願いの電話が入った。選択した分科会は、国連関連機関の講師が来たり、目を引いたホームレス自助活動「ビッグイッシュー」の事例だが、参加者からもレアな話題を提供してほしいという。すかさず宮崎DARCがこのセンター地域で展開している旨を伝えた。ボランティアプログラムのことをつっこんで確かめられたが、今は寄付や市民が物品購入で支援しているくらいと答えた。最後に、国連関連の多分フェアトレードのような茶菓を持ち寄るので、ぜひ、宮崎ならではの茶菓も持参をと絞められた。3月4、5日大野城市を会場に研修会も詰めに入ったようだ。前日企画へも「ひょうたん島」3/3(金)18:00~20:30にしようか。宿泊は鳥栖に取ったので、近場がよかろう。ひょうたん島はコピーによると宮崎から全国へ発信した「しんすけの店」一家を想像させる。しんすけさんご自身は、作業所の業務としてセンターにも顔を出される。はるかTV番組の感動を確かめに宮崎ならしんすけさん伝説は多分生き続けているだろう。
さて、表題の板子乗降臨にはあべゆう(こふく劇場)や実広健士(グループ連)といった馴染みの役者さんも出られる。板子とはサーフボードを指す、我が野海さんも板子の上で、旅日記を身体のバランスよく書き綴る水曜日のボランティア協会事務所。