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行・ぎょう

2017年4月19日 行・ぎょう はコメントを受け付けていません

朝目覚めると、横の布団で子猫のムギに添い寝してもらう奥さんの姿が通常にある。最近その口から発せられた言葉が「ボランティアってぎょうである」だった。業はごうで意味が違うとのこと。影響を受けやすいので、鵜呑みのまま反芻し続けている。大言海ではと確認する本体が無いが、事務所の岩波には、「こう」として⑥おこなう。する。おこなわれる。ふるまい。特に宗教で決められた行為をすること。等々の辞書的解説が。

何もボランティア的な生き方に限らず取捨選択しながら幸福を求めて生きる人間。誰かと何かのかかわりに左右されながらも、道をゆくボランティアスタイルは難しいから行・ぎょうなのだというのだ。そして、不変であろう風潮とは裏腹に仕事として変化し続けるケア的ボランティア。ここのところは、ふれあいの旅の指針としてヘルパー化を市民の手に取り戻す課題とある。そう、人のことが気になる、何かできればというのは人間の特性。いつか境目を忘れてまで介入する失敗もボランティアで学んできた。気持ちでやって気持ちを返してもらい完結する。返せないくらいのオーバー気味のボランティアも実は迷惑!だとも教えられることとなる。

知識より体験を 福永光司著 「荘子」中央公論社刊P180

達成感を得られるとは限らず、人生の目的に添うとも限らぬのに、奨励は盛んなボランティア。内輪からではあるが、一種の行・ぎょうとしての見解がボランティア協会周辺で話題に上っていることと記す。ふと、映画「フォレストガンプ」の冒頭でのナレーションが映像の空中から舞い降りて来る風のまま語られる。「かあさんはチョコレートの箱のような世界」のことを諭す。決められたところにいなきゃねえ。と。しかし生きることは動くことで、出会うことで、駒は進む。親切にされれば感謝でき、いじめられればわからなくなる。自分というものがわからなくならない為に、少しのアウトリーチを。推測と落ち着きが全身全霊を普通に力配分できるようになるためにも行・ぎょうを続けよう。枯死した常識に惑わされないためにも。先駆性のアイデアに満ちた行・ぎょうを。平気で貧困、古くからの差別ということを言葉として認めてしまう社会に決して同意しない否を言える旗が出揃うように。

大言壮語をしてしまったが、33回ふれあいの旅などの事業を通じ自由意志の力を育む事務所展開をしていきます。本日決定した実行委員会のスタートは5月9日(火)16:00ということです。酉年男の実行委員長はその日をもって47歳の燈火を吹き消し新たな日々の挑戦です。

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