咳きこむ
2017年6月14日
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ふれあい紙を発行する。付録のゲラを読むうちに疲れたともらしていた野海さんは静かに眼を閉じておられる。思えば、医療機関での治癒の間には相当なストレスを障がいのある人たちは受けている。自身をよく援助者に分かってもらうまでのプロセス、人間関係を構築した後でも、療養に係わる医療の技術は激しい反応を平穏に導く困難さははかりしれない。事務所には菊永恵子さんを偲ぶ「花をおくる会」実行委員会宛のFAXが届きだした。中には『ボランティア各位のお心のこもったよい企画だと思いますので、参加できないことが残念です。実行委員のみな様には、ご協力できないことをお詫び申し上げます。』という丁寧なお返事も。もちろんメッツセージとして取り上げますので、我らが聖母なる森冨貴子さま。
さて、偲ぶ会をご主人の基次氏に了解をいただきにご霊前に向かったおりに、誤嚥性肺炎の悪化という末期の様子を話して下すった。運良く集中治療室までご子息に連れ立って面会する機会に恵まれたが、同行した永山昌彦さんと私のコンビに向けられた眼差しは、気迫のこもったように見て取れた。無念さ、不条理さ、と戦い続けた64年間の末を表現する気持ちの真実を訴えむと懸命であった。その瞬間の懸命さが楽しくてたまらない時と同じだったことが彼女らしさだ。
さてさて、本日の「咳きこむ」と、「疲れた」の野海さんだが、いきなり恋は恋で良いと明るい顔に変わった。