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アウトリーチ

2017年8月9日 アウトリーチ はコメントを受け付けていません

辰身信子さんが急逝され、市民活動のパイオニアとしての巨星墜つの感。永山昌彦さんとコーディネーターとして座した宮崎市ボランティアセンターサテライト「ピアルーム」が開設された時の衝動は日向ボランティア紀元元年と言える。バブル後ますます首都志向経済文化は街をくまなく侵食した。若者たちの町若草通はそのTOKIO文明にアンテナを張っていたが、アンテナはデジタルを強く受けさせられ私さえポケベルも携帯に持ち換え始めた。
ボランティア都市という名称も行政から名乗りが出て、ノスタルジックな宮崎市民会館後に、現市民プラザ計画も槌音響く。

ありがとうをこころからフェースブック上の笑顔へ


若草通「ピアルーム」は市民プラザに移行するまでの間成果を上げた。その教訓は今までの誰かボランティアが訪ねて来るのを待つ体制を、人がすでに集まって来るところにセンターを開設することの大成功。閑古鳥の鳴く原町事務所へ向かう足を私もしげく通った。そこで、カウンセリング専門家でもある辰身さんと白いボールを投げて受けることの愉しさを教えてもらった。場所柄、ピンクの毛髪をした宮崎ダルクのみやさんなどスマートに入れた。永山昌彦さんから聴いたが、近所の清掃奉仕という事で、公園のゴミを収集した中に依存系のカプセルなど目に付いた、都市の抱える問題にボラセンが入る意義と難しさこそが学びであった。
その宮崎市自体も都市として大型化し、市民プラザは最新の中間支援センターとして市民活動を育んだ。コーディネーター職を辞してからは男女共同参画センター開設へと専門性を深められNPO法人としてもその名の如く「きらきら」したライフスタイルを提言しておられた。志しは受け継がれ、アウトリーチ精神とともに市民の血と骨とを構成していこう。

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