わ ばん しょう
2017年11月22日
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記念すべき第1回目の昼食は飫肥の街中、体育館でのお弁当だった。今でこそイベント時に臨時の駅長さんが現れる過疎の現状だが、あの日初春の飫肥駅にらくだ号は数百人の参加者を降ろし、途中トンネルはいくつあるかクイズを坂本智ちゃんが拡声器でアナウンスした。車内販売は斎藤せーろくだった。どこまでも進む一行は天守閣まで登り、鐘を突き、城下町をめぐり戻った。社会面を飾った事件であった。それから期待は膨らみ飫肥藩にお世話になった意趣返しで西都原御陵前広場へバスを仕立て、3回目に高千穂宿泊へとらくだ号を走らせるまで気力も期待も溢れていた。
さて、現実は日曜日の昼食会場でどう座席を割り振るかである。キムチの里は阿蘇から戻る大津町に位置し、キムチ工場は益城にあるという。そのキムチ漬けのこだわりが地産の唐辛子、名付けて「わ ばん しょう」。
33回目にして、被災の地への旅、福祉を拡大する意気込みの始まりから、どちらかというと困ったことが拡大してしまった今を旅ゆく。今回の旅がきっと我々と周りの社会にピりりひりひりの快感の風を吹かせる。