つち いと ひかり

2017年7月26日 at 6:34 PMCategory:お知らせ

ギャラリーで親子三人展を鑑賞した後、ウィンドショッピング同士のばったり出会いがふれあいの旅ボランティアに何回か参加してくれた若い女性。作品を観た後、カフェでの飲食も済ませ満ちたこころは、躊躇なく駐車場へ歩く道で声掛けできた。「ふれあいの旅のボランティアしてくれた人ぢゃねえ!」「えっ?!」
変人に出会ったというのでもなく、私の存在を識る人との思わぬ遭遇だと前向きに受け止めてくれた。33回目の実行委員会が奮闘中、あなたも是非!と畳みかけたいところだが、言葉少なに来てみらんねと情報提供した。彼女にとって選択肢の内にボランティアが眠っているだろうから、一緒に風にならんねとの気持ち。
恩着せがましくもなく、押し付けでもなく、自然にまかせる関係づくりの難しさ。自然から学習できた作法は、自然が不自然に陥った危機的盛夏の昨今、風が伝えてくれそうにもない。そのために識るとは何かが凝縮されているのがアートであろう。脳の潤滑をうながし自然と調和する開眼がもたらせられる。
今回の個展は、表題にあるように、土=陶芸、糸=原形・デザイン、宇宙にさしこむ光をそれぞれの目撃者に繫いでくれるものだった。いのちにつながる生きるという普遍性。つながる糸を紡ぐ。前の世代は点から線で面へと事業の成り立ちを理解するところまで至り、我々に伝えた。後継たる者は、さらに自然回帰、自然な心の恢復を同時進行形で意図するあたりに差し掛かっている。どんなに野獣性で牙をむこうが、宇宙に包まれた自然は次々にいのちのつながりを蜘蛛の巣のように広げ続ける。そこが照らされ、反射し光源は霧に包まれているかのようだが、安心波動はみえなくともそこから感じられる。
今週の水曜日は、昨日の実行委員会の機関車的活発の余韻を少し残していて、個人会費納入というベテランボランティアをも呼び込んだ。いのちがつながり広がる時と同じくして、共通点はタダだということのボランティアもあくまでも池の波紋のように広がり収縮を繰り返す。
よき縁につながり根源のいのちへの安心感さえもっていれば、生きて行く!
冒頭の街角でのボランティア志願者とのつながりが彼女の創造性を高めれば、ドラマとしての旅に役者が増え、彼女の世界でのプリンセスであるはずの不思議の国の王女は果敢に生きて行く内の一日を輝かせるだろう。音楽やものとしてのアートに包まれ、やさしさに包まれ、かつ勇気をふりしぼり生きる。
協会事務所を続けることも、生きる!に通じてのことである。

生きる!実行委員会と協会事務所

ぬきなあ

2017年7月26日 at 6:31 PMCategory:お知らせ

先日、散歩で生目神社坂下をおりた場面で、朝の庭仕事らしき農婦人に声かけると「ぬきなあ」と返事が返ってきた。驚いた。農村のいっかくという事で親しみを混ぜたつもりの梅雨明け直後の暑さを挨拶したのが、綺麗に撃ち返された。言葉の力。ゆるくカーブをかけたつもりの「暑いですねえ」が彼女のストライクゾーンに吸い込まれ「ぬき!」プラス「なあ」と高らかなホームランが浮田の平野を越えた。
さて、ざっくばらんな性格で実行委員会を引っ張る山崎光代の魅力は、容姿を破る根の張りのしたたかさ。本日も勤務後事務所にフェースブックチェックによる。学生らがふれあいの旅ポスターの原画を送付しているのに朱入れの目を光らせる。何でこんな間違いをと厳しい。障がいのある人との様々な経験はこれからだと助言する。そして、FBでのやりとりがぐんと進んでいる実行委員長にならい、ipad買おかねえとつぶやく。さっきは延岡の神楽に行きてえとも、そりゃ薪能ぢゃが。等々、やりたいことをいつもポケットに膨らませていることがカワイイ。何で興味をと投げると、延岡駅の側の居酒屋のことが希望の中心のようだ。その居酒屋は生前の友井絹子、中村幸広らの止まり木だった宮崎市清水町の店が里帰りして開店した処という。歴戦の志士らにならい酒をたしなみ、明日を語るのがふれあいの旅旅人らの流儀となっている。

できあがったポスターに朱入れする光代

セプテンバー30th

2017年7月19日 at 6:06 PMCategory:お知らせ

30 土 × × 宮崎市民プラザオルブライトホールの予約申請ページには9月30日(土)には使用申請了承済となっている。何が飛び込んでくるかわからない県ボランティア協会&MESC事務所に白いパテェシエ服姿の安藤義人さん現る。ちょうど過去には生活弱者をターゲットに炊き出し、安息所などをほぼ自力で展開し、事務所機能をここにも置いた青年が立ち寄っていた時間。私用だが、前回の盲導犬も来たライブハウス・ガーラムでの益を還元してくださった。やったあ!スイカ買うぞ!
さて、お札とともに渡された練習用CDメディア。2曲必死に練習に入る曲。それがカーペンターズとアースウインドアンドファイヤーEW&Fのセプテンバー。関連性はないとも言えないが、9月になれば我が宮崎の地でもやまゆり園の事件について語り合うイベントが計画されて鋭意準備進行中。もうすぐ1年が経つ。新聞報道でもフォローアップされ、宮崎からの鎮魂!生きる意味を問おう!というお楽しみ付きフォーラムでゲストが県内外から多数集まる。
事務所に一番身近な野海靖治ふれあいの旅実行委員長は、車椅子でも独り歩きできる世の中づくりをたった一人の孤独感の内に試行錯誤する生活実践中。何か人とのつながりへの手ごたえに不安な部分を吐露する。市民一人ひとりとの関係性構築は選挙運動なみの精力がいる。ただ出先で用を足すときのトイレに座らせてくれぬかという数分を断られるとしばらく気持ちの回復に時間が必要らし。慣れ過ぎた私のやり方はおもちゃ(ロボット)と見立て操作して遊んでるんだそうだが。

黒木ひろたかさん作品わたぼうし8/20コンサート

刷り上がって届けられたポスターのバックには暗雲瞑想の野海さん。今年のテーマは「伝えなきゃ」とある。長崎コンサートも同日、現地のわたぼうしが展開する。何万粒も種が撒かれ続け、たんぽぽの花は咲き綿の穂も実ってきた。とはいえ、土砂で押し流されたり自然同様に人間のすることにもむらができやすい。誰にでもおもてなしという標語の実効性にもむらが見える。すべてのことには関連がありそうだ。自発性を後退させず、ひるむ心を建て直す気持ちよ風になあれ。9月にはそんな風が吹いていることを目指し酷暑を耐えたい。セプテンバーの歌詞はこう韻を踏む。blueをtrueにしてshare!解放の鐘が鳴り響き、我が魂は唄わむ。黒雲立ちこめむ9月21日夜ぞ払い給えむ。頼みやすい店員さんをはじめとする市民が軽やかに9月になれば踊れるのかっ。また来週、お疲れ様と雨を予感したが外れたけどこれまた慣れたヘルパーさんと車上の人になった酉男。

掲示板

2017年7月12日 at 4:25 PMCategory:お知らせ

野望どまりだが、市制に一個はアイデアがある。それは、「活動」的な人なら誰もが経験しているだろうポスター貼りのことである。写真を撮ったようにようやく進化を遂げ雨にも強いファイルが準備されている。感謝ではあろうが、まだまだ広報を合法的に援助する掲示板へと進化をさせたい!と公約するのだ。
地方代議士選挙と内閣改造とかは、相撲の力士名とともに自然とTVを通じ身についた昭和はざま世代も還暦越え。団塊が後期高齢者、ゆとりが大人期と世代も多様性に富む。定年前に柱を打ち立てときゃあ良かったものを!個の時代を促進した功労くらいかな社会との相関図。

20170712-152810.jpg私は投票する時、判官贔屓的に弱者優先な入れ方をしたような気がする。傑作なのは、知事選の時、あまりの盛り上がりに当時(今もだが)茶髪でヤンママしてた長女が候補者の名を口にしたのを真に受けたが、本人は行かんかったつよなのだった。
さて、市民活動の時代に小さな活動にも動員をかけるのは、民主主義の役割だろう。ギャラリーが集まれば集中力や投げ銭的に思わぬ結果だってできかねない。市民力は総力戦というやり方は時代性を帯び伝統としての祭りを成す。一方たった一人からの気づきの伝搬には前例なしという言い訳が通用し続け、人間関係の新機軸までもトップダウンしかないような気がしてならない。知らされない、ことの中に磁場が潜むことは、知らなくて良いとの排除が意図されていると意地悪に意地悪で返したくもなる。映画((1984))のとおりに、街中にディスプレーが目立ち出し、掲示板には何時の間にか小さな活動さえ探せなくなっている。自発性を励ますような掲示板の役割を左右する予算化に決定打は、場外から飛んでくる可能性を見よう!である。

霧の中の

2017年7月12日 at 3:28 PMCategory:お知らせ

高鍋~秋月~朝倉
気候変動による異変の頻発。えびの地震の時の家屋倒壊の記憶なども民泊した米倉さん宅「春ちゃんの菜園畑」で聴いた。年に数度福岡、関西からの中学生修学旅行を北きりしま農村民泊で受け入れている宿に大人男性が串間、都城、高千穂そして綾町から私と枕を共に。地域からならではの話題を土産話に、窯焼きピザ、翌朝のブルーベリー摘みなど酒宴と農的生活を楽しんだ。農体験の時間が待ちきれず早朝から2時間ほど地域名大明司を十の字に散策できた。二八の坂下バス停から登りカルデラの縁(へり)という丘陵を歩くと霧の中に畜産基地が拡がり、諏訪神社を下り川内川へ降りると霧か靄(もや)か霧島という名を思い知らされた。昔日、マッシュマッカーンのメガヒット「霧の中の二人」があったが、あくまでも霧の中に一人、クールなサウナを息しながら、泳ぐ感覚で吉都線の汽笛の方角もおぼろげな道中を無事帰着し、朝ご飯の席に座した。靄の中えびの市文化センターの大看板があって

霧のえびので遭遇した稀有なイベント

あの、みやざきアートセンターでも個展で観衆を魅了した隣県鹿児島の進化し続ける知的しょうがい者主体的組織がやってくる!との報。県内には二つの高千穂伝説があり、双方とも秘話をかもす。一夜を過ごしたえびのは相良(熊本)薩摩、飫肥とみつどもえの戦場の歴史を、さらに古代からも持つ。高千穂なら雲海だろうが。霧に包まれた地がその全貌を昼の光にあらわにする時、どんな者が飛び出してきてもおかしくはない。人間が制度に窮屈になる以前、自由度をエネルギーにして活躍したであろう気配は霧の中に眠り続け、遠い夜明けを待っていて、しょうぶ学園たちの姿をして躍り出るような静かなパワーを出していた。
冒頭にリンクを貼ったのは、タイムリーにふくおかNPOセンターから配信されたメルマガより北九州豪雨支援ネットワーク情報として引用させていただいた。高鍋町と姉妹都市の朝倉市へは直接の募金支援のルートがある。先ずは行動に移すモチベーションを自分の中で増やす、地道な学び、それに至る体験として非日常の霧の中を歩いてみるのもボランティア的である。

7月11日

2017年7月12日 at 2:25 PMCategory:お知らせ

昨日、7月11日ふれあいの旅実行委員会(第5回)が開催され、ボランティアの群れを率いる公立大生3名の参加を得たと事務局日誌に山崎光代が記す。正午に鹿児島で発生した地震直後だったため〝コワイ”という不安感はぬぐえないが、それをとっ払ってやっていこう!と再認識!!と筆圧も強く記録にある。前回は宗像に宿したら、そこらあたりが世界遺産になるは、キャナルシティで爆買いツアーを繰り広げれば博駅前が大陥没するわで、世の話題が渦巻く処にふれ旅の軌跡がシンクロする。

今日の野海さん

これはボランティア活動体全般にあったことで「世界と活動のシンクロは何かを意味づける」のではという珍説はひゃらひゃーっと並ぶ。天の岩戸伝説以来、我々もこの世のストーリーテラーなわけ。一例のみ開陳すると、全国的なボランティア活動胎動期に青島に全国から800名が二泊三日の研究集会を繰り広げ宮崎からの発信としてもう伝説の域にあるのが平成元年2月11日のこと。会場を一か所で完結することができた観光宮崎のレジェンド橘ホテルは、最近も実は廃墟に地下空間が現存するというニュースできわどく歴史を刻印し続ける。バブル後営業は衰退し名前さえも消えた。しかしながらふれあいの旅が奇跡的に継続する内に、近場でというプランでこどもの国隣接のホテルで挙行された、公立大生が実動してくれはじめた頃、綾のクラフト展に迂回し、じっくり青島散策、サーファーや高校生までもが介助に駆け付け、ランチしたり、これまで泊りの参加が出来なかったボランティアも加わり、翌日には日南海岸もドライブという宮崎観光のモデルコースを堪能できたもんだ。そして、2017年の今、青島は観光の起点として確実な復活を!我々は時代の証人とおせっかいし続ける。

つくしんぼう

2017年7月9日 at 6:49 PMCategory:お知らせ

木の梁が陽光を受けるホールは、半分はステージとフロア席、玄関から椅子席が並べられ音響も良く、初めと終わりには少女がスピーカーの前を吸い込まれそうに空気を泳ぐ。ラストナンバーの渡り鳥を聴いた時にはそのエピソードともデジャブにおちいった。井上ファミリーバンドがロングランを続けるハートツーハートチャリティーコンサートをあえて、施設つくしんぼのホールでという新鮮な経験を多数の来場者と分かち合えた。

20170709-182615.jpg真新しい建物の出現を喜ぶメンバーの日常に観客として集まったのだが、難病や障がいという現象に触れた時のシチュエーションがこうも安心を保証されているのかと、ケアの現場力の強さを感じる。気持ちの上で先ず繋がる。聲をあげ、幕を突き破るジェスチャーはこの砦ではっせられるのが相応しい。演奏者たちのリズムに叫びには生きることに尽きる若く炎たつ精気が跳ね返りまばゆいほどであった。
そして、来週の宮崎市民文化イベントホール編では、会場と観衆、演者、サプライズゲストならではの空気を吐き出してくれることだろう。客席の私を見つけてくれたスパイダーマンもトーク出演してコンサートに香り付けをなされる。

歯ーニバル7/30(日)

2017年7月5日 at 6:10 PMCategory:お知らせ

清水町という名は新しく、黒迫という通り名で南北を幹線が貫く。10号線とに挟まれた区域に財部豊隆宅が。そのお隣が歯科技師専門学校。福祉総合センターから裏道を抜けると直ぐに学校となる。そこにポスターが出て、学園祭を告げる。へえ?そのイベントの存在を気に掛けてなかった、まったく。本日の野海さんの苦いつぶやきはズバリ!口が痛い!歯科受診後の痛みが3日後も引かない、のだ。まったく閉口状態。そこで、最寄りの歯科技術学校とじっこんになって、医療と福祉の壁を越えよう!と投げかけるも痛みの内には意欲も衰退模様。平静時には忘れ去っているのが実情。お隣に住んできた財部さんとて、猛暑にただただひねもす老体の御様子。歯だけではなく、鼻腔空間にも難がある野海さんには、残されたポテンシャルこそが書くこと。野海靖治旅日記がアプリ化され師匠と目す『松兼功翁の寄り添う般若心経』同様の柳の下のどぜうを目論むのである。

松兼功さんの仕事はアプリからブックへ

また、来週といつもの如く帰った後には、いつもの心地よい安堵感が漂ふ。仕事として通ったどんこやも辞めてひさしく、今春開業したあわいやへも自由に通うという野海さん。歯痛は余分だが、綾での岡田心平記念演劇賞に参加してきて、いろいろあるの口癖は行動のすばらしさに収斂されたよう。そして、ここは、決して取り込むことなく待つ空間、良い潮目を待つ事務所。人間以外にもリサイクル品も絶えず届けられる。時代が変わったからと言って都農町のベテランボランティア達のように継続の使命は堅い。産業革命以降人間性に変革が起こった。その革命に翻弄されもした。革命に革命では歯が立たぬ。人間は自身の人生を噛みしめながら、助け合い、生きるように生きた。また出会うためのさよなら。人間の最高のやり方。

後援-惑星ソラリス(宮崎映画祭)

2017年7月5日 at 5:39 PMCategory:お知らせ

ひそひそ星というプログラムを前回の映画祭では鑑賞した。監督した園子温さんのトークは御身内の急逝というハプニングで映画、映画祭さながらの急展開で刻印された。同時上映の大島渚氏の息子さんのドキュメンタリーには、手塚治虫に心酔した園子温さんのバックグランド、女優である妻との生活の一端と映画を生きることの意味が宮崎の観客の感性を掴んだ。

惑星ソラリス


幕間には、ロビーでファン同士のよもやま話も経験した。その夕べには県の重職の懐かしい顔もあり、ヤッド&PAみやざきの山之内俊夫氏と聴いたのが、海猿のロケ誘致のエピソード。
まあ、単なる愛好者のイベントとあなどれぬ深化が集まることで生まれる。気持ちとひらめきの出会いが、出会うことで発生する。リピーターの山之内氏によればソビエトの監督特集が組まれ、期待が大きい。本日は、和田っちも合流し、11月のまあるい劇場関連の話題に広がる。大村なつみちゃんの母校での公演には野海さんも役で復活。来月にはMJでの大きなキラキラ公演も。梅雨はすで去ったに等しい明るい事務所である。

AME

2017年6月28日 at 5:52 PMCategory:お知らせ

窓の外斜め見上げ「AME」と喜び顔半々で野海さん。大事をとって送迎ヘルパーを手配したのがあたったのだから。
さて、施設という言葉の響きフィナキラシーというと不道徳だが、付き合う上で野海さんは顕著だが、脱施設主義を押し通すマイノリティ群へのまなざしを持つことは、我が生活を老後の終活の道筋でもある。通常、介護保険制度に準ずる形で10年早まる障害のある人の老後。かって措置という保障を得て活かされてきた近年。北欧並みにという構想共通理想は独自のプランへと進んだようだ。自立という公用語も定着しつつ施設優先の政策をニーズ対応へはシフトできないでいる社会。誰もが投資して益を生み、あらゆる選択肢に対応できる穏やかな福祉社会体系へは宇宙へ飛び出すくらいの困難さを打倒できるのだろうか。
花を送る会後のアイスブレイクで「笑われた」と野海さん。佐土原のアトリエまで画伯を連れ出しに同乗したせいで、昼食にありつけず、いつもは口にしない菓子類を食べたい!と申し出たのが「笑われた」という。「入っても良い」ともまた、言う。肝心なところは社会から隔離されないことのようだ。社会参加を生活の一部にしていく生き方。そうそのことを彼も一緒にワークショップやらの講座・勉強会でさんざんしてきたのだから。社会をもっとおもしろくする使命感が自己実現と同じくらい難しいことを思い知らされた上での、施設内的人生非肯定なのであろう。社会というハーを常に引き寄せて居たい。さあ、野海さんの社会への恋しさは酉年にどれくらい報われるだろう。酉年から戌年へちょうど半年ではある。

上京して 昼飯ぬいて 笑われた

さて、花を送る会の帰路、私と斎藤泉画伯は野海さん同様昼飯抜きにたえること及ばず、うどんどなんに飛び込んだ。画伯の労いでごちであった。県美展に入選した構図の面白さが締切ギリギリだったという話を交わしながらうどんをすすった。話の端々からうかがわれるのは、画業を成すくらいだから社会性にはうとい、画業三昧の受注作成の日々のようだ。あたかもアトリエという施設に猫との暮らしといったところか。個と社会という世界観とは違う、絵の中のぼくの村のような創造生活もあるのだと狭い考えに風を感じた。こもる生活に耐えられる力と飛び立つ翼を両方持つに越したことは無い。そんな風な生き方を菊永恵子さんからも教えてもらった。