広報紙YUI

2016年1月27日 at 11:59 AMCategory:お知らせ

どこか遠くへ 四季の変化を感じながら すがすがしい空気新たな出会いに 嬉しさを感じる なんて 人との出会いは楽しんだろう どこの誰か分からないのに 出会いがしらに会う人挨拶すると心も気持ちがいいよね 武智 秀之

 報道は西日本広域の水道管破損による断水を報じ、自宅が無事な分被害に鈍感になっている矢先、野尻町追分の友人から、風呂に三日入ってなく・・・。と気分転換のメールが届き唖然となる。甚大な被害を身近な家々で受けているのだ。それもポイント的に新燃岳噴火を彷彿とさせる山間部の沃野裾野に及ぶ、しかも同時期。2010年~2011年が蘇る。
 冒頭の詩は、ふれあいの旅やわたぼうしコンサートを毎年楽しんでいるあゆみの里勤務の仲間からのもの。出会いの楽しさが素直に表現されている。そうだ出会いから始まる総てのことは、さて本題に移ろう。

命の水を届けよう

KK羅漢こと川原一之さんの連続講座2/4よりNPOハウス4階にてスタート

川原一之さんは元朝日新聞記者、宮日の新年特集でトップを飾った土呂久のその後連載記事の最終回では67歳で、県の砒素汚染の蓄積データはアジアへ後発発癌性などの証明として生かされるべきだと出ている。どうやら今年の顔となりそうである。我々との関りは平成元年2月11日に遡る。全国ボランティア研究集会が青島橘ホテルで成功した要因は彼に託されていた。そう五郎丸のように宮崎のシーンを代表するゴールを決めてくれた。当時は和解への道筋を辿る裁判の渦中で記者を辞めてまでも踏み込んだ鉱害にまつわる弱者宇宙から天狗党を名乗る横井、芥川、川原らの闘士がニッポン市民活動を席捲した時代が峠にさしかかった頃だった。水俣は現在、地元学から新フェーズに至っているようだが
土呂久はアジアへと救済の翼を拡げている。
 水銀と砒素は繁栄に役立つものとして利用された反面、命の水に溶け込んだとき、そのダークサイドは負の連鎖を巻き起こしてきた。無償を覚悟で誰かが立ちあがらなければ、問題解決にはつながらない。そして遂にはネットワークの力で解決の鍵を見つけ出すことに成功している。その反面汚染は収束に向かってはいない。そしてまた無償を覚悟で次のフェーズへ取り組まなければならない。そんな自明のことを、学ぶ価値は大きい。

複雑系

2016年1月20日 at 5:43 PMCategory:お知らせ

ひとり親家庭、教育資金が困難な家庭、中途退学者、ひきこもり、軽度の発達障害などの中高生を応援します。

ひとり親家庭、教育資金が困難な家庭、中途退学者、ひきこもり、軽度の発達障害などの中高生を応援します。

 ギャゼットマーケットプレースが駅前から消えて久しい。水曜日事務局ボランティアの同志野海靖治さんは、一時居場所として大いに活用されていた。小規模複合商業施設はミレニアムの頃の経済のめぐりにフィットしていた。マチがドーナツ化して、中心市街地から過疎が波及しつつあるとき倉庫群を再構築したセンターは使い手とともにやりくりしていく姿に好感が持てた。電動車椅子のぶらりひまつぶしの若者、壮年も顧客として余暇を堪能できる場であった。駅前にはその他は建物が無く、駐車場として市が利用する以外に空き地まであった。大阪ボランティア協会職員の早瀬昇さんが講演で駅に降り立った時に、この空間の持つ意味と利便性に先進都市では考えられない価値をもらしていったものだ。そうしてやがては、宮崎県の経済成長は止まり、その中心地の余白は取り払われた。ビルが建った北側にあの広場のなごりが芝生広場として残されたのが息苦しさを緩和させている。そして、アベノミクスの号令のもと再構築が動いている。こどもにまつわる保育園は園舎が新築され始め、コンビニや郊外レストランが立地を競い合う。津波のことで海岸線や河川沿いは忌避されたようだったが大型モールの増床計画も出てきた。何より、シャッター商店街だったところに起業の店舗が出来始め我々の生活の舞台も次の進化に駒をすすめたようだ。
 あらゆる手法でタコツボから抜け出る策をニッポン全体津々浦々で模索中。しかしどこかでだれかが手がかりを見つけるだろう、はたしてコペルニクス的転回を呼び込むことができるか、全く考えもしなかった常識を打ち破る動きはすぐ隣で胎動しているだろう。ボランティアにもその進化の断片を見つけ出すチャンスがあろう。経済へボランティア効果が描き出す関数は存在する。教育によって思考の深まりへと誘導が成されれば子供が大人へとなるように、大人さえさらなる思考を獲得してゆこう。しあわせの上昇へと導く思考へ。
1995生まれ。ブランドを立ち上げた若者

1995生まれ。ブランドを立ち上げた若者


 現在、県ボラ協事務所では福祉と教育の出会いと研鑽が日々日常となっている。今度の日曜日には宮崎市公民館で中村暖講演会を開催する。「夢を叶える生き方とは?」たしかに若くして成長著しい若者から聴き取ることはある。そのために生活貧困状況と教育へのヒントを考えて出してもらおうと多くの人に参加して頂きたい。

台所からつくる明るい未来

2016年1月17日 at 10:16 PMCategory:お知らせ

写真(2016-01-17 21.18)
第4回オーガニックフェスティバルは冷たい雨に午後からはうたれた。その分、空気は清涼感いっぱいで、回を重ねるごとにイベント的には進化を見せてくれる。帰り際、ドームのエントランス廃墟に足を踏み入れるにつけ思いはつのるばかりである。そのことは、三戸サツエさんの在りし日のこの場所での姿との遭遇のこと。彼女はリゾートが目前に迫っていた頃、反対しようもない時点でも拡大する前のフェニックス球場横の集合場所に立ち、南の松林群に向かい祈りのような反対ともお別れともつかぬスピーチをした。どうゆう訳か経緯は知らぬまま、車椅子の同志としてマッチたちと立ち会ったのだった。多分なのはな村とか経由だったのかは定かではないが。
そして、短くも美しくリゾートは半分は廃墟となったまんま。
しかし、最小の手はずで駐車場ビルではフリーマーケットがあったりと、愛する一ツ葉時代からこの沿岸は過疎のようでしっかりと息づいてきた。そんなリゾートと連結するようにグリーン博開催のために作られた大植物園空間はニューカマーとして愛され続け、前回と今回の市民的手作りイベントの格好の会場としてみんなを包み込んでくれている。IMG_6018
市民活動は野に放たれるならば、究極のミッションが鮮やかに出現するのであろう。生活の質を問うことが、様々なメニューとして活動となる。食と健康と同様である。このイベントを生み出す側には知人も多い。今回は客にブライアンもいた。英語教師として来日し、宮崎の人になって久しい。チョムスキーのことを教えてくれたり、前の結婚のことで手話もたしなむ。売り手にはニューカマーとしてサトちゃんも玄米珈琲の売り子になっていた。
閑話休題。やがては、三戸サツエさんが寄り添ってくださったように、福祉まつりにももっと開放感と生活の質を選んだ風が同様に吹き始めることだろう。3.11がたんぽぽのわたぼうしのようにこころをたくさん西へ飛ばしたようだ。そして、未来にたくすキーワードは台所からつくるなのだということらしい。都城市の市民活動助成での啓発イベントのチラシにあるコピーだ。われわれボランティア派はもちろんのこと、未来のあるべき方向性をわたしの台所から模索しはじめることが確実な一歩であろう。
雨のリゾートを帰路につきながらこの5年10年20年を思い出さずにはいられない日となった。ここちよいあめだった。

風琴の駅 劇団ゼロQ

2016年1月13日 at 4:36 PMCategory:お知らせ

藤井貴里彦作濱砂崇浩演出

藤井貴里彦作濱砂崇浩演出

昭和三十五年、夏。
南九州の盆地にある小さな町の駅。
日傘をさし、旅行カバンをもった女、ねりが、この駅に降りた。
アルミの水筒を肩にかけている。

ーあの、どなたかお待ちですか。

そして、・・・物語は動き出す。
「風琴の駅」
作:藤井貴里彦
演出:濵砂崇浩(劇団こふく劇場)

日時:2016年1月23日(土)  19:00開演
         24日(日)  11:00開演
                 15:00開演
※開場は開演の30分前
   

会場:新富町文化会館 イベントホール
           
入場料:一般前売り 2,000円(当日 2,500円)
    小~大学生 1,000円(当日 1,500円)

出演:中島佳江子・原田千賀子・前田晶子・原口奈々 ・

河野誠・黒岡明日佳・大城千明(以上 劇団ゼロQ)

中武悟(劇団一演)・大坪成樹(劇団イキナコッセン)

―― 風琴。

―― ふうきん。 

―― アコーディオンのことです。表で傷痍軍人が弾いているんです。

―― 静かな町。

―― はぁ、あるのは小さな商店街、瓦工場と木工所ぐらい。

   あとは山から風が吹くばかり。

飛ぶ

2016年1月12日 at 2:05 PMCategory:お知らせ

少し長くなる。 平成28年は1969年5月10日生まれの野海靖治さん(あわいや所属)
が母智丘を離れ一人暮らしを始め13年が経過し、都城市総合文化センター(通称MJ)の新春ワークショップトップバッター書の演武で「飛ぶ」を揮毫したことで開幕した。松下太紀(どんこや職員歴有)さんのアート作品参申が昨年中飾られた未からバトンタッチを受ける座がしつらえられたホール回廊空間での室内祭り。

あわいや野海さん、松下太紀さんの申アートとコラボレーション

あわいや野海さん、松下太紀さんの申アートとコラボレーション

一方、宮崎市民プラザではDPI(障害者インターナショナル)の講師を招き、障がい者運動の新たなる展開が、社会全体で「差別」と向き合うことを共に考えようと自発的なタウンミーティグが手応えをもたらした。

都城と宮崎で同時に身体と知恵との競演が開催され影響を与えたことは夢と権利を愉しく主張して行くやり方を示したことになろう。前者は文化ホールのファシリテーター「赤い祭の法被、松原さん」により綿密に仕掛けられた音楽あり宝さがしに夢中な子供達と親たち向けであったがハレの気分が湧き出す神楽の様相だった。後者は参加して満足した奥さんの報告を聞けば、差別解消のパレードを企てている講師の言動力に感化されることがあったようだ。
前日には宮崎市の文化企画に参加したのだが「愛編む寺坂」の若草通っ子で現在在京の放送作家が高校生、大学生を巻き込んでのコトバのワークショップをお役所仕事を解体したカタチで、ホール満員の市民と楽しんだ。
同日の二件は障がい者とのコラボ祭り、差別との新たなる出会いへの刺激的事例。前日の市長挨拶から始まる歌謡ショウの紅白前口上試合と伊藤一彦短歌講評も、実はスクールカウンセラーと当時の引きこもり中高校生時代のある作家がという伏線があり、会場には聞風坊などの姿もありいよいよもって近しい人々にクローズアップが向く時代となっている。
そして、その予算をどう組むかの経済的基盤は、主催YAHDOはキリン財団助成で市の自主事業はもちろん我々も関与する市予算。そして経済のつながりは世界へとつながり、やれ武器だとますます騒々しい。いっそボランティア経済の可能性はと頭を悩ませる昨今、良い教材になる映画の上映とタイムリー。
「シャーリーとヒンダ」宮崎キネマ館名田支配人から聞いて益々興味が増した。アルパチーノが多動症の女児を治癒に向かわようとニューヨーク〜を奔走した読まれなかったレノン直筆手紙伝説脚色映画が開戦日&命日に割り込んだ結果上映越年にとのまつわるいきさつ。ロック伝説系信奉者として昭和平成栄華のパープルカーペットを小走りに生きた私は、過剰な経済史を問う老女らと志を重ねるのであった。

研修会「障がい者の就労支援と地域づくり」

2016年1月6日 at 5:00 PMCategory:お知らせ

日時:平成28年1月23日(土)
午後1時30分~午後4時30分           参加費無料
宮崎市保健所 研修室A/B
(宮崎市宮崎駅東1-6-2)

第1部 招待講演「障がい者の就労支援において、今求められていること」
    講師:厚生労働省 社会・援護局
       障害保健福祉部 障害福祉課 課長補佐 照井直樹氏

第2部 クロストーク(分科会形式となります)
【研修室A】
  「障害者総合支援法の3年後見直しと就労支援事業所のこれからについて」
  パネリスト:照井氏
        宮崎市内の就労支援事業所の支援職(予定)
  
  進行:宮崎市障がい福祉課生活支援係 主任主事 浜崎純一氏

【研修室B】
  「就労支援における連携の重要性と実際ー就労部会の取り組みを中心にー」
   くまもと障がい者ワーク・ライフサポートセンター「縁」
  (熊本障害者就業・生活支援センター/熊本市障がい者就労・生活支援センター)
                    主任就業支援ワーカー 原田文子氏
  「KP5000インターネットクラウドシステムを用いた支援・求職マッチングの実践」
   就労移行支援事業所 アス・トライ 代表 山田浩三氏
  
  進行:宮崎青年・成人発達障害当事者会ShiKiBu 顧問 山田裕一氏

障がい者の仕事に関するご意見を募集しています。

障がい者の仕事に関するご意見を募集しています。


第3部 「障がい当事者の声と当日参加者からの発表」
 「事前アンケートの結果公表と当日参加者からの発表」
   【研修室A】 進行:浜崎氏
   【研修室B】 進行:山田裕一氏

【申込方法】参加申込書をFAX番号0985-68-3715
宮崎市自立支援協議会 就労支援部会 担当 日高信明 行 にて送付。
参加者氏名 第2部からの参加希望(研修室A,B)また、配慮してほしい事項(手話通訳、車椅子スペース等)記入
の上(申込受付1月20日まで)。
【事前アンケート回答用QRコード】
障がい者の仕事に関するご意見を募集しています。
携帯等で右のQRコードを読み取ると、アンケート回答フォームが表示されます。
何卒、ご協力ください。(別紙の回答用紙でご回答いただいても構いません。)
回答用紙は、障がい者総合サポートセンターでも受け取ることができます。

 

全国ボランティアコーディネーター研究集会JVCC2016 望遠レンズ

2016年1月5日 at 10:38 AMCategory:お知らせ

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3月5日、6日に横浜市上大岡で開催が準備されているJVCC2016のことをイマジン!してみる。
セッションは22分科会が準備されているということで地域づくり、人づくりの先行事例を一網打尽できる仕掛け。この集会には池袋、名古屋、栃木県小山、大阪と県費も隔年で支給して戴き参加しておおいに刺激を受けて戻り、県内のボランティアシーンへ還元している。
昨年は、前日入りし「神戸着フェリー利用で長田、コミュニティカフェ体験からのフルバージョン
で維新傘下の釜ヶ崎のフィールドワークも中人数で経験し、酔った後は味園まで体験出来た。」
その時の同行の方が、教員の方で来年は横浜で運営委員として仕掛け人に志願したいと段々と色に染まって行くのを頼もしく付き合った。あの先生は願いどおりに横浜で龍馬のように志士達を待つのであろうか。想像してもわくわくしてくる。

昨年の中味は、すでにボランティアコーディネートシーンが社会に包括されていて、町内会長さんや過疎地の行政担当者にまでスピリットは堅持され、テクニック的には議員や地域コーディネーターも成功事例を共有化している事がメッカ大阪で競演を催したのだった。改めて社協マン、ウーマンやらまちおこしファシリテーターの有能人材が未来を紐解いてくれたものだ。2012.13.14.15の社会や世界の潮流をいち早く影として観ることができたのは参加完結のボランティアの伝統がここにくれば残っているのを身体で感じられるからだ。

そして、まだまだ世界は遠くにあるもので蛸壺ニッポン人の中年男は果たしてどこまでやれるのかに関してまでは決めて帰れないまま。しかし、今回の横浜開催では決められると念じたい。まあ、参加するかは、未定だが、こんなモチベーションの変遷を30年来持続してきた先達としては、県内の老若男女、各コーディネーター諸氏に薦めたい。

パブリックコメント

2015年12月30日 at 10:27 AMCategory:お知らせ

「障がいのある人もない人も共に暮らしやすい宮崎県づくり条例」案にコメントをしようと、ヤッドみやざき(現在、新しくNPO法人化体制に移行中で、岩切文代代表が就任する予定)は呼びかけている。以前発達障害関連での意見を投書(コメント)したが、その時は担当職員からリターンがあった。今回の条例に関してはもっと関心を寄せる必要が認められるようだ。そもそも障がい者とは、共に暮らすとは、宮崎県とはを主体者自身が知恵を出し合うチャンスなのだ。18歳選挙権行使の参議院選挙イヤーでもあるので、県民も候補者も本気度が試される365日なのだ。当協会も、32回ふれあいの旅を核に、PSKぴ〜すけ会員カード、情報誌ふれあいのツールを活用し、ふれあいアートなどのワークショップで身体をより開放しながらボランティアたちの居場所事務所を展開し続ける。
さて、コメントしたいことは多様性を拡大し続ける障がいニーズが条例に反映されるかだ。社会福祉協議会がベースになり県民性を育ててきた時代は、都市化するマチと市民活動の台頭で活性するもいまだ揺籃期の状態である。そんな時焦点を改めて少数者に当て、向き合うことから知恵と新時代を産み出す子宮をかたちづくる宣言としてそれこそ官民一体で言葉を発する必要がある。案にはやがてはわたしも障がいのある人になるという表記もされており、これまでの常識上の他人事では済まされない時代の渦中にあることもじんわりと表現してある。もはや、福祉社会が壁にぶち当たっていることを認めスピード感を持ち続けることの命題は棚上げできない。戦後70年を経た71年目の明日からは、二の矢三の矢が放たれねばならない
「去年の勉強会で、みすみす旅行客を逃しているという熊本の当事者弁護士のまだまだバリア業界」はこぞってふれあいの旅バージョンを商品化すべきだろう。NHKアナウンサー金子氏が持ち前の手話で日向市の手話条例制定を取材したような真に迫ったメディアが真実を追求するべきだ。発達障害の重篤さを軽減させるフォローは全くの新分野であるからして、一見では分からない障がいへの理解と対応はダイナミックに展開されなければならない。
悪に時間を費やしてはおれない、高齢化も障がい多様化も、平和と非暴力の名の下知恵と言葉と行動で立ち向かう相手として、いや肯定すべき仲間として認められなければならない。そんな主張を掲げるひなたニッポンに日頃から向けられた眼差しは一層ふんだんに注がれることをこの土の上で暮らし自助努力をしていくのだ。IMG_5902

マワリメグリテ

2015年12月27日 at 4:02 PMCategory:お知らせ

宮崎県ボランティア協会周辺も未から申へとアイコンを繋げる師走となった。振り返りをするとともにいくつかエピソードを拾ってみよう。12月開催の理事会には延岡市、都城市の遠方からの松下宏理事、有里泰憲理事も駆けつけて下さり辻会長を始め気分も盛り上がる後半への橋渡しとなった。激夏には疲労から自立生活者の会員2名の入院もあり、気候変動の余波は活動者をも容赦なく襲った。それぞれ、旧名・江南病院へ納宏子さん、宮崎生協病院へ野海靖治編集委員の思わぬ長期入院となった。第31回ふれあいの旅実行委員長として初の鹿屋方面への立案は山崎光代、永廣実行委員へ任せた。同実行委員の主要メンバー坂本夏美のヤッド!自立生活も始まりボランティア・アルバイト募集のチラシも発行された。旅行には三股町の会員大村なつみも参加して、中途障がいの初参加者らにはその元気な様子が刺激と発展し何かせねばとの協会入会ともなったようだ。

協会関連の「あわいや」らがアーティスト「松下太紀」を盛り立てる

協会関連の「あわいや」らがアーティスト「松下太紀」を盛り立てる


 そんな、ふれ旅の元気はその他のイベントにも拡散して行く新年になりそうだ。
さて、ふれあいPSKぴ〜すけとしての会員カードも全会員に配布された。QRコードは携帯電話でも読み取ることができるので、緊急時連絡先の入力を是非完了しておかれたい。マニュアルも提示される予定で準備が進んでいる。その担当者である、城戸氏がメスカ塾講師として事務局に月曜日復帰したので是非問い合わせられたし。
そのメスカ「みやざき教育支援協議会・亀沢克憲、川﨑郁夫氏らが」常駐する事務局を展開しているお陰で、休眠中のNPO法人ネットワークの存在意義が復活することにもなった。ミレニアム当時「四季塾」が活躍し、ワークショップを展開していた機運が新時代に復古した様相であるのも転換期におけるボランティア活動らしい。
日南市を通過したふれあいの旅であったが、飫肥在住の岩切秀樹会員が障がい者外出支援「ジパング」の名乗りをあげたのも頼もしい。
さて、1月11日にはダブルでイベントとなったが、差別解消法タウンミーティングが宮崎市で、遊びでバリアを取り払おうというポスターのイベントが都城市MJホールでと切り口を違えて訴えかける。条例へ当事者の参加をと呼び掛ける2016年の天王山となりそうだ。未年には新安保が声が届かず制定されたが、申年には福祉や教育の声が上がり参加型条例への道を進むということで、ボランティア活力が発揮されることは大いに想定しても良い。

ラジャー去川こども村

2015年12月22日 at 3:55 AMCategory:お知らせ

BASE バステシェカより メリークリスマス

BASE バステシェカより
メリークリスマス

バステシェカより

ジョソールより届いた祝ご生誕祭のツリー

日曜日、メスカの事業「生活貧困世帯支援をITで!eのあります」授業が高岡町去川小(統廃合で指定管理を株・SunGrow)の多目的室で初の野外授業を行った。三ヶ月を経過して10名の生徒を集め、それぞれのニーズに合う個別授業を三教室で展開している。毎日新聞の黒澤記者の取材を県ボランティア協会教室も受け、講師役の公立大生の日野葵さんと2名の女性生徒の講習様子が報道された。その全体版の息抜きイベントとして去川こども村を名乗る日曜教室が3回連続の初回となった。
 協会員へは直前のはがき通知で活動の告知をしたが、ヒット数は一件あり、サプライズで地元選出の参議院議員事務所から問い合わせの前触れがあり、授業前に覗いて行かれた。光栄なことである。とともに、貧困と不登校、ひいてはフリースクールという文言が物語るニッポンの2015年の締めの時期にタイムリーなイベントとしてピカッと点滅を発することができた。
 そして、午後の部のクイズ大会などが終わる頃には、大人も小学生も、女性も男性も程よくバリアから解放されて去川の大銀杏の樹を後にしたのだった。協会教室の生徒二人は風邪用心で欠席となったが、わたしを含めた3人の中高年トリオと受付担当の生駒理事はおおはしゃぎであった。メイン講師は不登校歴理学療法士の塩入好紀氏でお隣の綾町にも不登校当時に度々山口県から連れられてきた縁があり、25名の参加者のほぼ半数は成長した講師を訪ね、後の中学生男子3名、小学生女子1名とその家族らは、前出の株)SunGrowが展開する学遊館恒久に関わりがあるおとなとこども、講師らであった。
 今年、宮崎駅前で出張講座を開催した「不登校新聞」の当事者目線でのイベントのミニ・野外版というところであった。総元締のメスカ・亀沢克憲代表理事は自然の力とITの知恵の融合を何とか形にして、日常の教室兼居場所を構築せねばというミッションを確かなものとされた。
 西米良村所神楽真夜中帰りの私の背をそっと押してくれた理学療法士の手は暖かく、癒しのパワーにすぐ反応するのだった。生徒数は4人、講師は3、4人あとは普通のおとなという一つの群れが半日を聴いて、考えて、食べて、遊んでという時間をシェアしたわけであるが、自分を出すには程良い、距離感があったように思う。
 「なぜ勉強しなければならないのか」というある一人の問いに20数個の回答があった。勉強は正解をひたすら求め合否は人生をも左右するという「バカな」実態を疑うことなく信奉してやまない。勉強はこまった奴だ。元小学校では、風が自由に吹き、近くの大淀川は五月蝿く流れ続け、多分隣の集落の人は今ここで何があっているのかも知らない。しかし、神経衰弱ゲームでおとなもこどももポカをやるたび盛り上がり、景品を欲しがり、当然子どもにはやさしくあり、おとな同士も胸一杯に呼吸をしあった。
 もしかして、このツリーを送ってくれたバングラデシュのグループなんかでは共同体はより弱いものを真ん中において喜びを目指しているのではと、10年前に訪問したことと重ね合わせ想像できる。
 となれば、今のニッポンが探している姿は、過去でもない、よそのアジアでもない、ここからはじめる何かなのではないのかとも思えるのであった。身体が解放された時に感じる風にあふれた良いイベントだった。