100円基金とは?
2019年9月4日 at 2:15 PMCategory:お知らせ

グリーンコープの産直りんごの予約の季節となったが、活動助成金の募集中でもある。共同購入メンバーが申請者にいる条件もあるが、何と基金が購入者の拠出金であることで身近なファンドな感じ。消費者が起業発案者に脱皮する、羽化、インキュベーションな仕掛けは面白い。電子マネーが普及する伴走で原始人が石の通貨で今日を築いた歴史観に近い賛同のお金が動く。
2019年9月4日 at 2:15 PMCategory:お知らせ
グリーンコープの産直りんごの予約の季節となったが、活動助成金の募集中でもある。共同購入メンバーが申請者にいる条件もあるが、何と基金が購入者の拠出金であることで身近なファンドな感じ。消費者が起業発案者に脱皮する、羽化、インキュベーションな仕掛けは面白い。電子マネーが普及する伴走で原始人が石の通貨で今日を築いた歴史観に近い賛同のお金が動く。
2019年9月4日 at 1:25 PMCategory:お知らせ
新しい時代 新しい映画 ジャンポールベルモンドにキスするアンナ・カリーナの美しさを是非見てください。とフライヤー記す。いよいよ、9月14日(土)10:10ザ・バニシングSpoorloos上映@宮崎キネマ館から9月22日(日)13:30半世界@メディキット県民文化センター演劇ホールまで大開催!
障害者手帳をお持ちの方と介添人は無料でご覧いただけます 席に限りがありますので、必ず9月6日(金)までに●観たい作品 ●人数 ●代表者の氏名 ●電話番号 を宮崎映画祭実行委員会までお知らせ下さい。※お知らせがない場合、通常料金をいただきますのでご注意願います。
視覚・聴覚に障がいをお持ちの方々へ 本年の宮崎映画祭の副音声、字幕対応作品はUDCastを利用した「こどもしょくどう」「寝ても覚めても」。(2019.8.23新着情報)
2019年8月28日 at 6:32 PMCategory:お知らせ
旅行日記を送ります。 先週木曜日は辻先生がラクーに、金曜日は永山監督があわいやに来られて、土曜日は こどもの国まで電車で行って、電動で帰るもいちろくあたりでリタイア!昨日は一応、都城に行ったけど、予定した時間よりも遅かったから、MJをぶらぶら! 旅行日記を今年中に
おんなじ祇園山を頂に仰ぐ大九州島にあっても、北では雨量が河川の限界越えを見せつけて激しい爪跡を残した。片や南では会わせる顔も曇りがちだが、水曜日の事務所に到着するとみんなの顔は輝きを増したかに見える。豪雨被災の方々には不遜ではあるが。
先ずは、楽々WEB工房事務局員としてふれあいの旅を担当する城戸氏は、明日未明にはふれあいの旅ページをアップできるとのこと。フライヤー校正も終わり、募集要項用紙の丁合には光代、純子コンビで手作業中。
冒頭のメールを先によこした野海実行委員長は個人およびあわいや活動としても、スケジュールがうまり体力をそこに集中させることになった。「そこ」とはクイズとして置くが、
ヒント!「永作博美ファンだったっけ?」PARCOプロデュース演劇公演の高額チケットをリザーブしたのだ。多分「そこ」の勉強&おっかけしてもOK精神として。
2019年8月28日 at 3:16 PMCategory:お知らせ
劇後、日常リハビリに頑張るカタカタを目撃したというおんなの人からの電話を受け、たまたま大塚台だったのでアパートに訪ねたが、シャッター玄関が下りた後で面会かなわず。その話を事務所ですると訪問歓迎とのこと。素のカタカタも舞台以上に波乱万丈な自立生活15年。
2019年8月28日 at 2:29 PMCategory:お知らせ
2019年8月22日 at 7:50 AMCategory:お知らせ
座右の銘を記された渡辺康造氏のメモをトリミング。難病とまで言い切る自らの病。心の病と言い換えられるも、障がい者の仲間に入りるも制度上のみでは劇的な快復は困難な推移の中に立ち尽くしておられる。
脳内のメカニズムをお察しするのは難しい。アノニマスのミーティングルールを破ることをしているが、一点ボランティアとして共感しなければならないのは、「苦しさ」を知ること。「共感」への同意。治してほしいよりも何故「苦」に捉われるのかそこに悶絶するのかありのままの存在を認めることのようだ。
「この世界にいても良いのだ」感が薄れるとき、苦悶は増すようだ。人間の苦へのぎりぎりのもがきを個人内で展開されている心の病の当事者として電話口で最近、「隔靴掻痒かっかそうよう、しっちょる?」を聴かない。苦しみを増すことで苦しみに耐えているかのように。本当の安心が保障される世界はすでにユートピアである。
なお、ライティング中に電話があり、この匿名性違反のブログの許可を得たので、作業所に送迎される渡辺康造さんの背中をやさしく押したい。
2019年8月22日 at 7:11 AMCategory:お知らせ
先日宮崎県ボランティア協会では、事務所に辻利則会長、松下宏、有里泰徳副会長と永山倫太郎理事、永山由美好事務局がお盆休みを利用して第2回定例理事会を開催、令和1年度内に「NPO法人ネットワーク」存続の結論を出すテーマで熟議。
松下氏は延岡市ボランティア協会会長であり、もちろん天下一薪能創生の立役者で今年10月12日の演目が「景清」であることから宮崎市通いが続く中での出席を得た。有里氏はユネスコ都城として青年国際協力畑を歩み続けておられる。
アイスブレイクでは、富島甲子園の高校生野球から、都城市民会館解体までそれぞれの蘊蓄で盛り上がった。そのなかでも印象に残ったのがシャイな辻会長の宮崎公立大学野球部監督としてのレアな宮崎県大学野球への期待だった。
そこで、チェックしておきたいのが九州大学野球秋季リーグ戦。川南で勝ち進み、高鍋MASUDA球場へ進みオール九州勢と闘う!宮崎産業経営大学一強にご近所の頑張れベアーズ的な近しい存在が風穴を!かって辻選手が宮崎大学野球部で駆け抜けた同じ練習場にナウい青年らが汗と血と涙にまみれている同じように。そこに今年は九州リーグでの出場枠の一増という他流試合のチャンスが。
2019年8月21日 at 6:06 PMCategory:お知らせ
35回目のふれあいの旅を告知するための要項も出来上った。
2019年8月19日 at 6:26 AMCategory:お知らせ
39回目の宮崎わたぼうしコンサートフィナーレを見届けた。定番ずくしなので、山田良一総監督流儀に、そこまでもと肯ぜぬ意を得ながらもブラボー!!!
冗漫なプログラム自体が意図されたもので、ハンディのある仲間たちを主体に置けば即興にリズミカルに舞台は進まない。鑑賞する側に異次元の我慢を強いることが、ハンディに触れることでもあることを優しく突き付けて来る。
説話、座禅の境地にも似た14:30開演延々と18:00終演を見越して、15:12の清武駅行の日曜路線バスに建築中の県病院前から乗った。お目当ては今回は6番目という情報を山田さんご本人から聞いていたので作戦だった。しかし、ステージはそこを見抜いたように、ショートカットはダメとばかりに入選発表後半3曲を鑑賞するタイミングで市民文化ホールに座した。
なので、じっとしていられない多動系のハンディを持つ自閉な部分を十分自意識した観客のひとりとして、15分間の休憩時間はオアシスを求めホワイエへ降りた。コリドールでコーヒーを頼むと淹れるのに4分とこれまた、ハンディ有のスタッフ時間が流れている。お蔭で作業所出展の土産の列を十分冷やかした上に、早退していく納宏子さんと付き添う元MRT番組ディレクターを見送れた。
第2部からは、照明もフル回転してパフォーマーたちによるお楽しみの始まり始まり。特にダンスの乗りにはまいった、降参した。クラブシーンの「これからみんなで滅茶苦茶踊って、騒ごう騒ごう」を見せつける前列のダウン青年二人には!めくるめく盲導犬クィニョンの平然としたアシストをはじめとしたこれぞとばかりのYES YES YESの瀑布に魂は打たれ続ける。
締めには、ふれあいの旅母子常連の武智さんがステージの永遠性を宣言し、表彰式へとつないだ。そしてささやくような司会者が最後の力をこめて40回目は国民文化祭、障がい者芸術祭と一体となって趣向の違う祭りとなることをアナウンスした。出口で見送ってくれたわれ等が平川氏より会場も県立芸術劇場でと教えてくれた。それにしてもフィナーレでボランティアが弾けていたのが一番共感できた。
2019年8月14日 at 4:58 PMCategory:お知らせ
お盆ということで、加藤哲夫さんを偲ぶ。自然に。縁がある方で、ワークショップにお招きできたのは、四季塾幹事役の野崎由紀子ちゃんの力技だった。前の前の前の震災時ボランティア報告会で宮崎女子短期大学(学生名、学校名いずれも旧姓)の矢口裕康先生が卒業生として紹介された後、同様な神戸の学校に詰めた何故か女性やらが結集し、学んで遊んだ時期がしばらく続いた。最先端をいく講師としてやせた身体ながら毎日FAX通信をやりとりする知的に過激な活動家であられた。
時代は平成改元すぐに湾岸戦争、昌彦さん美智子さん結婚式初夜の阪神淡路大震災と事変性に枚挙にいとまがない頃、すでに仙台では生活視点で網の目が張り巡らされ、ネットワーキング時代にシンクロして、覚醒していた人々から光が発せられていたが、後のNPOミレニアムには市民セクターとして結実をみる。
ひなた県来訪時や、代々木オリンピックセンター全国ボランティア研究集会では目撃したが、2012年仙台を訪ねたときは一周忌の当日であった。せめて足跡をと「book cafe火星の庭」をおたずねしたら。ヨブ記にも似た癌との対峙の末に帰ってきたセンダード仕掛け人は去られた。翌朝福島入りし、いわき泊のみちのく一人旅は、善き隣人へのオマージュとなった。